2019年12月22日日曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第十回・ベルリンの戦い)

 お久しぶりです。前回の更新から何か月経ったか、自分でも怖いくらいです。
 実は最近、Cドライブの調子がおかしくてですね。アプリケーションやらピクチャファイルが消滅したり、保存していたドキュメントが文字化けしたりと結構怪しい感じです。
 ウイルスバスターをかいくぐっているのか単なるクラッシュか、という感じですが、ともかくその為にブログ用のメモやら図やらがあちこち壊れまして。
やる気が思いっきりへし折られた&罪悪感でブログのページを開けない、という精神状態になってしまいました。

 そんな訳で、更新が閉鎖レベルまで落ち込んだ事を深くお詫びし、短いながらも謝罪の挨拶とさせて頂きます。


 前回は『バルジの戦い』でしたね。もう昔過ぎて覚えてねーよ、という方。ごもっともです。もしお時間があればご覧ください。
 まずは事前に状況をざっと説明しておきます。1945年3月末、英米軍はヨーロッパをほぼ分断するライン川以西をほぼ完全に制圧していました。しかし対するドイツ軍は、「近づかれたら橋を爆破する」という作戦を徹底し、英米軍の侵入を防ごうとします。
 その為、進撃を続けるにはまたしても上陸作戦のような船による渡河をしなければならない(と思われている)といった具合でした。

 さて、バルジの戦いが失敗に終わっていよいよ窮状極まるドイツ軍でしたが、ここでライン川のダムを爆破するというとっておきの手段に。渡河不可能の大洪水を前に、英米軍は停止を余儀なくされます。
 その隙に、ドイツ軍は東のソ連軍を退けようと最後の反攻作戦に打って出ました。しかし春の泥濘では機甲部隊も役に立たず、あえなく失敗。そうこうするうちにライン川の氾濫も治まり、とうとう英米軍がベルリンへ向けて再び動き出してしまいます。

 まずはモントゴメリー将軍率いる北方担当イギリス軍(と、その指揮下のアメリカ軍一部)。こちらは至って順当に、船を用いた大規模渡河作戦を実行します。この際行われたのが「ヴァーシティー」と「プランダー」という二つの作戦で、大雑把に言うと渡河部隊、援護する空挺部隊の合同作戦です。空挺好きだなこの人。
 マーケット作戦・ガーデン作戦の反省を生かしてか、実に入念な準備を持って実行に移します。爆撃、砲撃を行った後の空挺作戦は抵抗を受けつつも成功し、無事渡河を完了しました。
チャーチル首相、アイゼンハワー将軍、モントゴメリー将軍の三人でランチを食べながらその様を眺めていたというのですから、その余裕ぶりも伺えます。

 一方のブラッドリー将軍率いる南方担当のアメリカ軍ですが、こちらは何と無傷で残されている橋を発見しました。それがルーデンドルフ鉄道橋、別名レマーゲン鉄橋です。
 アメリカ軍の接近を受けてここでも爆破が試みられましたが、物資不足が祟り橋を落とす事が出来ませんでした。しかもそれに出くわしたのがパットン将軍配下の第三軍。例によって果断即決ぶりを見せ、橋を守るドイツ軍を退けて橋を確保します。
 こうして、奇跡とも呼べるラッキーによって、難無く橋頭保を作り上げる事に成功しました。この後、ドイツ軍は執拗に橋を攻撃し、やがて十数名の米兵と共に沈没します。しかしその頃には浮橋も完成し、意味はほとんどありませんでした。


 それら英米軍の渡河によりドイツ軍の戦線は崩壊、取り残された部隊はあちこちで包囲、降伏してしまいました。その中にはドイツの一大工業地帯、心臓部とも称されるルール地方も含まれています。エルベ川西岸まで快進撃は止まらず、1945年4月、とうとうベルリンを目前にします。しかし、実は連合軍の総司令部では一つの取り決めがありました。それは「ベルリンはソ連が落とす」というものです。
なぜかと言えば、やはり戦功としてソ連の占めるところが大きかったからというのが一つの理由です。
何せ、ソ連軍は一度の戦いで100万以上の兵を動員している事も少なくないのですから(因みに、ノルマンディー上陸~パリ解放、ファレーズ・ポケットまでの参加兵力はおよそ200万人だそうです)、多くの犠牲を出した国が一番の栄誉を得るべしというのも理解できます。
もちろん、軍事的な見地からも十分に考えられた末の結論だろうとは思いますが、イギリスは案の定猛反対しました。

 ともあれ、アメリカ軍はベルリンより南、ドイツ南部からオーストリア、ハンガリー方面へと兵力を向けます。
 そして、ソ連軍とアメリカ軍はエルベ川南方、ドイツ東端で邂逅。西部戦線と東部戦線が初めて結びついた瞬間、これがかの有名な「エルベの誓い」です。イギリス軍は北方で進軍を続け、リューベックやハンブルグに到達しますが、こちらでもソ連軍と合流して進軍を停止。この直後、ナチスドイツは降伏しました。

 さて、その決定打となったベルリン侵攻作戦は1945年4月中旬より、前述の通りソ連軍によって開始されました。ヒトラー総統は市民を避難させる事も無く、全てを道連れにしようとしていたとか。内部のゴタゴタ等で当初は大きな損害を被っていたソ連軍でしたが、それでもオーデルおよびナイセ川を渡り、4月25日にはベルリンを完全に包囲。
 その後は完全な掃討戦です。親衛隊や少年兵が建物の屋上や地下に潜み、機銃や狙撃銃、対戦車砲でソ連軍を迎え撃ちます。多くの市民を巻き添えにしながら激しい戦闘が巻き起こりますがソ連軍の歩みは止まらず、郊外から市内中心部、そしてとうとう国会議事堂へと雪崩れ込みました。
 唯一の希望はヴェンク将軍、ブッセ将軍らによる外からの包囲突破でしたが、それも失敗。
傀儡国家サロ共和国を指揮させていたムッソリーニ大統領の死亡、そして寵臣ヒムラーの裏切り、および救援が完全に頓挫したと聞いた後の4月30日、ヒトラー総統は愛人と共に自殺します。

 5月8日、大統領を後任したデーニッツ将軍が西側連合国と、国防軍代表カイテル将軍がソ連との降伏文書に調印し、かくしてナチスドイツは崩壊したという訳です。



 では、『将軍の栄光』ではどうだったでしょうか。と言っても覚え書きやあいまいな記憶をメインにしていますので、かなり大雑把になったり間違ってたりしてそうです・・・ご勘弁ください。
 まず、自分が操作するのはアメリカ軍ですね。マップ左端にシュツットガルト、ケルン、上にはオスナブリュックがありますが、ケルンを除けば全てライン川東岸にある都市(のはず)です。ルール工業地帯はデュッセルドルフなどだそうですが、マップ上には恐らく存在しません。
 史実通り、アメリカ軍が担当するのはベルリン以南、イギリス軍がベルリン以北を担当しています。何故かフランスも北にいますがまあそれは良いでしょう。
 またベルリンについても史実通りソ連軍が『我が軍に任せてもらおう』みたいな事を言いますが、結局自軍で落とす事になりますね。こちらはゲーム的に致し方ないかと。あ、プラハは確かソ連が占領していたと思いますが、これもまた史実通りです。

 さておき、自軍のルートとしては(僕は)主にフランクフルト→ベルリン→ハンブルグやロストック、という順番で進んでいたと思います。縮尺が小さすぎるのは否めませんが、東西戦線の合流点としては意外にもけっこう一致していたのかな?と思います。
ベルリン市街戦はIFストーリーとして考えればアリなんじゃないでしょうか。

参加将軍は・・・確かゲーリング将軍やマンシュタイン将軍がいましたね。どちらもベルリンでの戦いではその場にいなかったはずですが、オールスター感のあるメンツだったと記憶しています。こうなるとロンメル将軍がいないのが逆に違和感。・・・いませんでしたよね?

 それでは。

2019年7月4日木曜日

攻略ゲーム選定!『1944 Burning Bridges』

お久しぶりです。最近ちょっと忙しく、ついブログ更新を後回しにしてしまいました。ホント遊ぶ暇もありませんでしたので。
と言っても、ブログのことを忘れていた訳ではありません。実は私、新しく攻略記事を書くアプリを探していたのでした。

で、遂に選びました!既に何ステージか進めましたが、初見殺し的な展開が結構あり、中々難しいゲームです。さっき遊ぶ暇も無いとか言ってなかった?というツッコミは聞きません。

それがこちら、HandyGames社様の『1944 Burning Bridges』です!基本料無料(これ重要)。

実はこれ、以前コメント欄で薦めて頂いたシリーズの一つなんですよね。その時は独ソ戦がメインでしたが、こちらはノルマンディー以降の西部戦線が主題となっています。
さてこのゲーム、基本的には一般的なターン制ストラテジーゲームです。歩兵・車両系、戦車系、大砲系、航空機系に分類されるユニットを操作し、敵を撃破または拠点を占領していくことになります。

ていうかこのシリーズは以前も紹介したので、そちら(Frozen Front)をご覧ください。システムはほぼ同じです。
細かな差異を挙げるとすれば、輸送トラックがMGトラックに改良出来るようになった、くらいですかね。正直大分前の記事なので記憶が定かではありませんが。


が、唯一大きく異なっている部分が、火炎放射歩兵、そして工兵の存在です。
火炎放射歩兵は、要塞砲やバンカー(掩体、トーチカ)などに潜む敵を一瞬で撃破できる特殊なユニットです。一撃必殺!って感じで非常に気分が良いですが、それだけではありません。
撃破するのはあくまで配備された敵だけ。すなわち設備が無傷に近い状態で残されるので、そのままこちらの防衛拠点として利用できるのです。
半面、射程は隣接ヘックスのみ。さらに打たれ弱く、高価という欠点を持っています。

工兵は非常に多彩な能力を持つ支援ユニットです。
戦車など機械系のユニットを回復できる他、地雷を設置・探知・解除する、鉄条網や簡易のバンカーや塹壕を作成する、橋を落とす、壊れた橋を修復するという能力を持つため、シナリオによってはこのユニットの存在が不可欠なものも少なくなさそうです。
特に地雷は踏むとそのユニットの行動が終了してしまうので、かなり厄介でした。
当然ですが攻撃能力はほぼ0です。唯一バンカーに対してはかなりの威力を発揮するのが細かいですね。あとやっぱり高価。


まあ細かい所はおいおい追加するとして、シナリオ攻略を進めていきたいのですが・・・その前に「ゴールド」の存在に触れなければなりません。
前記事でも触れましたが、このゲームにおいてゴールドはあらゆる行動のコストとして使用するもの。難易度を左右する要素なのですが、このゲームにおいては全ステージ共有となっています。
つまり、簡単なステージでチマチマ稼ぎ、圧倒的な資金力でクリアに持っていく事も可能でしょう。
ですが、それはちょっと面倒くさいというかモチベーションが上がらないというか、見てても面白く書ける気がしないので、ある程度のルールを設けたいと思います。
ズバリ、「ステージごとに支給される+敵を撃破した時に得られるゴールド」だけでクリアする!
……ようにしますが、出来ない事も多々あるでしょう。その時は謝りますので大目に見てください。
後は全ミッションをクリアするつもりでいます。今のところは。

ボリュームがすごいのでどのくらい時間がかかるかは分かりませんが、チマチマとやっていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

あ、あと元ネタ解説もそのうちに。まだ若干忙しいので…

それでは。

2019年5月1日水曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(番外編・バルジの戦い)

 お久しぶりです。今回も『将軍の栄光』のステージ元ネタ解説を…と思ったら、何と西部戦線で残っているのはあと一つ、『第三帝国の運命』だけでした。このステージは連合軍総出でベルリンを落とすという、まさに最終決戦という感じのシナリオになっているんですが、実は史実だとベルリン周辺に攻め込んだのはソ連だけなんですよね。しかもベルリン市街戦はゲリラ的な戦いなので、元ネタ解説というほどのものでもないな、と。

 そこで、いっその事、西部戦線末期の大まかな動きを書いてしまおうと思い至りました。で、折角なので映画にもなった「バルジの戦い」も解説したいと思います。言わば番外編ですね。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。

 さて、前回のマーケットガーデン作戦からおよそ3ヶ月。西部戦線はいよいよドイツ本土に達し、ソ連軍もポーランドへと押し寄せ、ドイツはもう占領を待つばかり、といった状態でした。
 しかし、一方で連合軍はマーケットガーデンの失敗もあって侵攻が停滞、ソ連軍も大攻勢が一段落ついたところです。対するドイツは本国が近づいた事で素早い対応が可能になり、まさしく反撃の好機にありました。

 そんな中、総統ヒトラーが強く主張したのがこのバルジの戦い、正式名「ラインの守り作戦」でした。ちなみに、東部戦線は広すぎて一部の反撃に成功したところで趨勢に影響しない、という理由で却下。
このラインの守り作戦の目的は、一言で言えば「フランス侵攻の再現」です。ベルギーにあるアルデンヌの森を通過して、連合軍の補給路を断ってダンケルクで孤立させた、あれです。

この作戦でも、アルデンヌから突入し、電撃的に進軍してアントワープを奪取し退路と補給路を断ち、北部方面軍を孤立させ侵攻を頓挫させて、これを以って英米の戦意を挫き、講和を結ぶという大胆な計画を立てていました。


 事実、森林地帯で装甲部隊が通る事も無いアルデンヌ地方ではほとんど戦闘も無く、担当のアメリカ軍でも休養地、再編成の場と化していますから、あながち的外れな計画とも言えません。
また、連合軍はこれまで無線を傍受してドイツ軍の動きを読んでいたのですが、それに気付いたドイツ軍がこの頃には書面に切り替えていたので、それが出来なくなってしまっていました。おまけにそれを「ドイツ軍はもう組織的抵抗が出来ない」と勘違いしてしまったのです。


 この作戦の最大の障害は何と言っても戦力が足りない事でした。が、傷病兵、志願兵、少年兵、などなど、ドイツ軍はなりふり構わず兵を搔き集めました。工場もフル稼働し、内外が予想したよりも多くの戦力を整える事に成功したのです。
とは言え、フランス侵攻の時と違って制空権を完全に連合軍が握っている事と、兵力の面で圧倒的にドイツが劣っているという事実に変わりはありません。

それに加え、燃料が足りないので連合軍から奪うしかなく、迅速に補給基地を奪取出来なければ敵の増援に捕まり壊滅させられてしまうという危険をはらんだ楽観的な作戦であるというのも否めない点ではあります。

という訳で、ドイツ軍将校も作戦の実行に反対でした。が、それは総統ヒトラーと作戦本部に受け入れられず、とうとう作戦は実行に移される事になりました。

 1944年12月16日、爆撃機を飛ばせない悪天候の中、ドイツ軍はアルデンヌの森を通ってアメリカ軍を急襲します。突然の奇襲、それも電線切断などの妨害もあり、アメリカ軍の各部隊は全体像も分らぬまま必死の防衛を強いられます。その抵抗は予想外に激しく、あっさりと侵入した地点もありましたが、そうでない地点もいくつか存在していました。

 連合軍の対応も早く、最初こそ陽動を疑っていたアメリカ軍でしたが、各国首脳に相談する事無く予備部隊を急行させるなど、ドイツ軍の予想より早い対処が為されました。
指揮系統整理の為に北部のアメリカ軍をいったんモントゴメリー将軍の指揮下に置くという、国に拘らない柔軟さも見せています。


 続々と現れる救援と激戦を続け、ドイツ軍の作戦は遅延を続けます。

 作戦中で最も有名なエピソードが「グライフ作戦」でしょう。アメリカ軍の軍服を着るなどの偽装をした部隊が、アメリカ軍陣地に潜入して看板の向きを変えたり、偽情報を流したりといった妨害工作を行った作戦です。もちろん条約違反ですが、まあ今更ですね。
 これのせいでアイゼンハワー将軍が暗殺を防ぐために軟禁状態にされたり、ブラッドレー将軍が「イリノイ州の州都」という質問に「スプリングフィールド(正解)」と答えたのに兵がシカゴだと勘違いしていた為に勾留されたり、モントゴメリー将軍が監禁されて激怒したりというエピソードが生まれました。

 それともう一つ。バストーニュ周辺の攻防戦です。ここは7本の道路が交わる交通の要衝であり、絶対に落とさなければならない地点でした。圧倒的な兵力差にも関わらず、アメリカ軍は抵抗を続けます。そしてドイツ軍がやっとバストーニュを包囲し、降伏勧告を行った時のマコーリフ将軍(師団長代理)の答えが「NUTS!」という非常に有名なセリフです。意味は「ふざけるな」又は「地獄に落ちろ」という感じだそうです。
宇宙戦艦ヤマトで沖田艦長が降伏勧告に「馬鹿め」と言うのは十中八九これが元ネタでしょう。
バストーニュは結局占領できず、本隊が先に西進するという決定がされました。

ですが、ドイツ軍の進軍はこれまででした。12月下旬には天候が回復し、爆撃機が再びドイツ軍を襲います。また、燃料も枯渇した所に連合軍の本隊が集結。ドイツ軍は次々と撃破され、退却していきます。
この際、前線が部分的に突出した形(バルジ)になったため、この戦いはバルジの戦いと呼ばれるようになりました。
結局ドイツ軍の到達地点は最大でも半分ほどでしたが、それも全て押し戻され、ドイツ軍最後の反撃は失敗に終わりました。


 マーケット・ガーデン作戦とは「時間が勝負の奇襲作戦」という意味で共通点があり、双方ともにウォーゲームの舞台によく使われます。そういえばどっちも映画にもなってますね。
しかし、なぜか『将軍の栄光』ではシナリオに採用されていません。なぜでしょうか・・・。


 実は平成のうちに更新したかったのですが、ギリ間に合いませんでした。
それでは、令和になっても「暇じゃないけど暇つぶし」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年3月13日水曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第九回・マーケット・ガーデン作戦)

 今回は「マーケット・ガーデン作戦」という作戦の解説です。「遥かなる橋」で映画化された作戦ですね。有名な映画なので聞いたことのある人も多いかと思われます。

 まずは状況から。
オーバーロード作戦とドラグーン作戦以降、連合軍は快進撃を続けフランスのほぼ全域を解放。1944年9月の時点で、戦線は北部がベルギー・オランダ間、中部がフランス・ドイツ間、そして南部がフランス・イタリア間に到達していました。

 しかし、連合軍を悩ませていたのが補給の問題です。
各地の港はまだドイツ軍が立てこもったり、あるいは破壊したりしていた為、連合軍は計画通りに補給港を得ることができませんでした。それで未だにオーバーロード作戦の際に用いた人工港や占領したシェルブール港に頼りきり。しかも上陸作戦の時に爆撃で鉄道を破壊してますから、前線にはトラックで運搬するといった始末でした。
そんな迂遠な方法では広大な戦線をさらに広げるのは難しく、攻勢は停滞してしまいます。

 そんな中で、北部方面を担当していた英軍のモントゴメリー将軍が強く主張したのが、空挺部隊が一斉に奇襲降下して進路を確保、すかさず陸上部隊が進撃し、ドイツ軍の防衛線を一気に突破するというものでした。
連合軍の基本方針は東部も含めて四方からドイツを圧迫するというものでしたが、これは一考に値するものでした。ベルギーのアントワープは補給港としては申し分ないのですが、川の対岸(オランダ)に陣取るドイツ軍が邪魔だったのです。その為、この地域の解放は連合国全体にとっても急務でした。また、ノルマンディー上陸作戦以降役割の無かった空挺部隊の活用にも繋がります。
が、連合軍司令部はこの計画を却下します。理由は二つ。まず、オランダ周辺は狭く、機動的な作戦に向かないこと。それから、モントゴメリー将軍に迅速な作戦遂行の経験が乏しいことがあったとされます。

 しかし、9月8日、とある事件が発生します。世界初の超音速弾道ミサイル『V2ロケット』によるロンドン攻撃が始まったのです。
何だか強そうに思えますが、実際は爆撃機に比べて不発は多い、威力は低い、射程は短い、命中精度は非常に低い、そのくせ発射コストは高いという代物でした。
しかし、その速度ゆえに当時の技術では迎撃はおろか避難すら困難で、「いつ自分の上に落ちてきてもおかしくない」という恐怖は、ロンドン市民や連合軍の将校に大きな精神的プレッシャーを与えました。
 そんなV2ロケットが発射されているのが当のオランダだったのです。そんな訳で最高司令部はオランダの奪還を決断。「マーケット・ガーデン作戦」が実行される運びとなったのです。
実際はもっと河川だらけ

 さてこの「マーケット・ガーデン」という作戦名、実は空の「マーケット」と陸の「ガーデン」という2つの作戦を合わせた呼称なんです。
まず「マーケット」作戦は3個師団を3地点(アイントフォーヘン・ナイメーヘン・アーネム)に降下させ、周辺の5つの川にかかっている橋を占領するという計画です。占領に失敗して橋を落とされでもしたら、大きな川だと侵攻自体が不可能になってしまいます。何が何でも成功しなければならない作戦でした。
そして同時に開始される「ガーデン作戦」は至って単純で、占領されている(はず)の橋を渡って機甲師団などが進軍、各地点の空挺部隊に合流して救出・回収するというものです。
オレンジが空挺地点。

これだけと言えばこれだけ。ですが、この作戦には様々な問題が潜んでいました。

  • 空挺部隊の負担が大きい
「ノルマンディー上陸作戦」を見れば分かる通り、空挺部隊というのは対空砲火などで簡単に降下地点から離れてしまいます。さらに戦車・重火器などを持たずに降りるため、味方から切り離された状態の、ろくな装備も持たない歩兵部隊と考えればその危うさの程も分かる気がします。
今回の作戦では、途中の橋を占領できなければそれより向こうに降下した部隊は孤立してしまいます。しかもこの作戦では「拠点防衛」という任務を与えられていますから、補給もなしに最大4日間橋を保持しなければなりません。(付け加えるなら、これは作戦が計画通りに進んだ、いわば理想的な状態での話です。)まあ一応重火器や車輌も投下する予定でしたが、果たして空挺部隊が本当に持ちこたえられるのか不安の大きい計画でした。

  • 準備不足
この作戦は急ピッチで進められたせいか、様々な準備が不足していました。何しろ1年以上時間をかけたノルマンディー上陸作戦にひきかえ、こちらは決行がV2ロケットの発射からわずか9日後の17日ですからね。
まずは空挺作戦に無くてはならないグライダー。これは必要な数の半分しか用意できませんでした。また実行後に発覚したことですが、無線機にも準備不足、確認不足があり、部隊間や航空要請など多くの通信が不能になってしまいます。
さらに、上で言ったような、橋の奪取に失敗して空挺部隊が対岸に取り残されるという最悪の事態をカバーする計画も立てられないままでした。

  • 楽観的な想定
もちろん、これらの欠点は歴戦のモントゴメリー将軍なら百も承知だったでしょう。それでも作戦が実行されたのは、ドイツ軍が崩壊寸前という前提によるものでした。実際、ファレーズ包囲戦以降ドイツ軍は連戦連敗でろくな装甲戦力も持っていないと分かっており、この少々無茶な作戦でも実行可能とされたようです。
 が、この前提は全くの誤りでした。この時、偶然にもドイツ軍は戦力を立て直していたのです。
孤立していた兵を救出し、敗残兵を集め、新規に部隊も加えて再編成を行っていたのです。さらに悪いことに、2個の装甲師団(武装親衛隊)がここで休養・修理を行っています。大きく弱体化しているとはいえかなりの戦力を保持していました。
実は、レジスタンスや偵察機の報告があったらしく、作戦幹部はこれに気づいていた可能性があります。
しかし、既に作戦が実行目前に迫っていたため無視されてしまったとか。見ない振りをしても解決にはならないのですが、組織ではよくある事かもしれません。

また防衛ラインとして前線を守っていたのはシュトゥデント将軍でしたが、彼はドイツ軍降下猟兵の創設者であり、ドイツ軍による最後の大規模空挺作戦「メルクール作戦」を指揮した人物でした。空挺作戦に対応するにはこの上ない適任者がいたという訳です。


 というような問題や不運(いずれも回避可能なものでしたが)を抱えながらも、1944年9月17日、作戦は実行に移されました。
最初の降下はおおむね計画通りに進み、ノルマンディーのように広範囲に散らばる事もなく、いくつかの橋は難なく占領できました。ドイツ軍は突然降って湧いた大量の空挺部隊に大きく混乱し、モーデル将軍などは自分を拐いに来たと勘違いした程でした。
しかし、SS師団や防衛ライン、兵力を増強した軍によって3地点全てが妨害を受けてもいました。アーネムでは何とか橋を占領したものの増援を待つために進軍が遅れ、アイントホーフェンでは撃退され、ナイメーヘンに至っては進撃を開始することさえできません。当然アーネムの部隊は孤立した状態になってしまいました。
さらに前述しましたが無線の不調によって部隊間の連絡がつかず、情報を確認しようとしたアーネムの師団長(アーカート将軍)が襲撃に遭い行方不明に。
まだあります。墜落した飛行機から作戦の計画書が流出し、奇襲効果はわずか1日目にして損なわれてしまったのです。

 というように、上述の不安はもれなく実現してしまった訳ですね。その後の経緯を大まかに話しておきましょう。
陸上部隊の方は道を塞がれたり、解放を喜ぶ民衆に邪魔をされたり(この光景はパリ解放等でも見られます。気持ちは分かりますが)し、進軍に後れを見せながらもアイントホーフェンで合流を果たします。しかし既に橋は爆破されており、工兵が架設するまで更なる足止めを食らいました。その間、アーネムで橋を占領していた部隊は師団内で孤立したままドイツ軍の猛攻でじりじりと後退していきます。
ナイメーヘンでは決死の渡河が行われ、橋に陣取るドイツ軍を挟み撃ち。見事占領に成功します。が、機甲師団が単独で進軍する事を拒んでいる間に、アーネムの部隊はついに降伏してしまいました。
その後は連合軍の優勢ではありますが、ドイツ軍はアーネムまでの補給路を執拗に攻撃し始めます。そのためアーネムへの進軍はできず、とうとうこの作戦の撤回が決定されました。
 その後アーネム対岸の空挺師団は渡河し脱出。派遣された増援によりドイツ軍は一掃されました。オランダの中に回廊を確保した連合軍でしたが、もはやその価値はほとんど無くなっていました。

結果としては、一般的には連合軍の作戦失敗とされます。なにしろ膨大な物資を割いたにも関わらず、ドイツに打撃を与える事が出来なかったわけですから。このせいでアントワープ解放も遅れ、全体の侵攻も滞るなどの悪影響が出ました。
しかし、モントゴメリー将軍は「9割方成功」と言い、一方のオランダ王子は「オランダにはもう一度モントゴメリーの言うような『大成功』を実現させる余裕はない」と語ったとか語ってないとか。
余談ですがアーネムの橋は、そこを守っていた部隊長のフロスト中佐に因んで「ジョン・フロスト橋」と改名されているそうです。

 それにしても、まるで作戦通りに行かない可能性を全く考慮していなかったような、非常に強引な印象を受けます。

ご存知の方も多いと思いますが、モントゴメリー将軍といえば北アフリカ戦線を勝利に導いた名将であり、しかもその戦略は(再三にわたる首相の要請を拒否し続け)戦力を蓄えるという堅実なものです。いくらV2ロケットという脅威があったとはいえ、その堅忍不抜なイメージとはそぐわないように感じます。

なぜここまで性急に進めてしまったのか?については、本人以外に知る由はありません。
よく聞くのはモントゴメリー将軍の個人的な名誉欲やパットン将軍への競争心という理由です。
モントゴメリー将軍は自らを連合陸軍総司令にするよう要求し、首相に要請してアイゼンハワー将軍より上の元帥の地位を得るなど、かなり固執していたようです。
またパットン将軍は、かつて「ハスキー作戦」で主役を担っていた英軍を出し抜き独断で進軍し、結果大戦果を挙げたことでモントゴメリー将軍に敵視されていた、と言われています。とは言っても、地位が全く違うんですが。
次にイギリスの都合。戦後処理でより有利な条件を引き出すため、あるいは消耗が激しく長期戦を嫌ったイギリス本国が、早く戦争を終わらせようと軍をせっついたという話もありました。
どういう理由にしても、失敗は思惑通りではなかったでしょうが。


 それでは『将軍の栄光』について。・・・なのですが、ステージ開始時にはベネルクスがドイツ所属になっています。そもそもアントワープ周辺までしかマップがありません。
追記:これは「マーケット・ガーデン作戦」後に起こったアントワープ対岸をめぐる戦闘「スヘルデの戦い」を再現している可能性があります。ちなみに本作戦の失敗が響き、アントワープを完全に確保したのは11月。

空挺部隊を使うような場所もありません。その代わり、なぜか沖にモントゴメリー将軍含めいくつかの陸上部隊がたむろしてます。何してんのそこで。
まあ、ターン制限が厳しいのはリアルかな?と思ったり。クリアするには全速力で進まなければいけない辺りは何だか教訓めいた意図を感じます。あと登場将軍は大体史実通りです。
後は・・・そう、ゲーム内でのエアポーンでは歩兵しか降下できなくて不便、とか思ってましたが、実際兵器なんて持ち運べないからしょうがないんですよね。史実の作戦を見てるとあんなに気軽にポンポンできるもんじゃないみたいですから。目標地点に違わず降下できる時点で相当有能だなあ、と今更ながら思います。
いつもながら書ける事が少なすぎる・・・・思いついたらまた追記します。

それでは。

2019年2月28日木曜日

通販で保護フィルムを買うのは難しい。

 どうも。
マーケット・ガーデン作戦の元ネタ解説に使う図が上手く描けないので、とりあえず体験談で場を繋ごうと思います。

 この間スマホの保護フィルムが破損しまして、正規店に行くのが面倒だったのでAmazonで探して、評価の良さそうなやつを購入したんですね。
 新しいフィルムは縁に数ミリだけ接着剤がついたタイプの、強化ガラス製でした。注文して届いて貼り付けて、さあこれで安心と思いきや。ちょっと落とした拍子に簡単に外れてしまいました。

 これじゃいつ外れるか不安なので、仕方なく新しい保護フィルムを探すことになりました。ついでに古いフィルムには低評価のレビューをつけて。

で、また外れないように「全面吸着」という、フィルムの全体に接着面がある商品を注文したんですね。
 ところが、届いたのは前回と全く同じパッケージ。不安を抱きつつ箱を開けると、やはり同じ商品でした。もちろん別の出品者の、別の商品を注文したはずなのに、です。

確認の為に前回注文した商品画面を呼び出そうとすると、「ページが見つかりません。」
・・・要するに高評価のレビューはサクラで、僕が低評価を押して平均点が下がったためページを削除したんだと思います(邪推?)。

 とりあえず今回に関しては明らかに虚偽表示ですので、しらばっくれられないよう商品ページのスクショも撮った上で出品者に連絡したところ、「写真送ってね(要約)」と返事があり、言われるがままに商品の写真を撮って再返信。するとあっさり返金されました。
正直これ以上ガタガタ抜かしたら承知しねえくらいの気持ちだったのでちょっと拍子抜けでしたね。
ちなみにこちらの商品にも、全面吸着でない旨を記載した低評価レビューを付けたところ、やはりすぐにページが削除されていました。まあこっちは商品説明が虚偽だったからかもしれませんが。

 結局、一番初めに着けてたフィルムに落ち着きました。
自分で言うのも何ですが、これまでは悪質商品を見抜く自信はあったんです。あからさまに安かったり、高評価レビューの日本語が怪しかったり、Amazon以外から発送されるものは避けていれば安全だと思っていました。
しかし今回はAmazon発送で値段も普通でしたし、レビューも☆3~5まであったのですっかり信用してしまったんですね。

 という訳で、皆さんもAmazonで購入する時は気を付けて下さい。
見分ける手段を3つほど考えてみたので、良ければ参考までにどうぞ。
・出品者のページを見る
 独自のロゴを入れていれば結構信頼できる。個人出品っぽく、住所が中国だと個人的に要警戒。
・レビューを信用しすぎない
 レビュー数が100程度、高評価ばかりで平均が☆4~5ならサクラの可能性もある。逆に平均☆が3くらいの方が安心できるかもしれません。
・同じ商品が複数出品されていないか確認する
 特に「3D」とかイルカのイラストが描いてあるやつ。僕の機種だけかもしれませんが。

 さて、この程度の駄文でも1時間くらい掛かってしまいました。マーケット・ガーデン作戦の元ネタ解説もほぼ完成なので、近いうちに投稿できると思います。くらい言っとかないとまた次回の更新が月末とかになりそうなので戒めに。

それでは

2019年1月31日木曜日

あけまして風邪。

あけましておめでとうございます。というセリフを1月末に書く異常性。ただ去年は2月に入ってからだったので、去年の自分は既に超えたと言っても過言ではありませんね。

さて、今回はちょっと風邪についての体験談を。今年に入ってから風邪やインフルエンザが猛威を振るっていますが、僕も御多分に漏れず体調を崩しました。
インフルエンザかなーと思って医者に行ったら、いくつか問診した後、簡易検査もせずに「風邪ですね」と言われてしまいました。
「検査しなくていいんですか?」と訊くと、発熱から48時間以上経ってしまうと薬を飲んでも効果が無い、とのこと。あとは発熱や症状などで判断するみたいです。

という訳で、熱が出た人は早めに検診した方が良いかもしれません。まあ簡易検査も確実ではないそうなので、一番良いのは体調が悪いなら休む事でしょう。可能なら、の話ですけど。


それでは、今回はこの辺で。新年早々やっつけっぽい記事ですが、ブログってこんなもんじゃないですか?そうですよね?
とにかく、本年も「暇じゃないけど暇つぶし」をよろしくお願い申し上げます。