2018年11月28日水曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第八回・ドラグーン作戦)

今日も元気に月イチ更新。
というわけで、ドラグーン作戦の解説です。(西部戦線・連合側『ドラグーン作戦』)
いかにも勇壮なカッコいい名前ですが、実際は大した戦いも無い作戦なんですね。知名度が低いのも頷けます。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。


 さて、まずはいつものように背景解説から。
この作戦は南フランスへの上陸を目標とするもので、前回のノルマンディー上陸作戦に始まった「オーバーロード作戦」を支援する目的で計画されていたものでした。
この作戦に割く余裕が無いという理由やチャーチルの反対から一旦は延期されたものの、ノルマンディー上陸作戦でシェルブールなど港の確保に手間取ったことを受け再検討された、とあります。

とは言え、実際に実行されたのは8月、ファレーズ包囲戦の直前で、既にドイツ軍の劣勢が明らかになった後でした。

戦力をかき集めた北フランスでさえそんな状況でしたから、南フランスにいるドイツ軍は言うまでもありません。
さらに内陸部ではフランス人レジスタンスが活動し、ノルマンディー同様に通信網や道路を破壊しています。
そんな訳で、ドイツ軍は大した抵抗もできず、また後述するように早々に撤退が決定したため、一方的な追撃戦に終始しました。


 実際の動きを大まかに追っていきましょう。

1944年8月15日、アメリカ軍・自由フランス軍をメインとする連合軍はトゥーロン、ニース間の地域に上陸します。
イタリア戦線からも兵が引き抜かれたとか。
前回お話しましたが、ドイツ軍は8月16日に退却命令を出していました。
南部でもその方針は同じで、南仏のドイツ軍はトゥーロンといった一部を残し、北部フランスを経由してドイツ本国へと撤退しようとしていました。
退路を断とうとする連合軍と、時には足止めの部隊を残して北進するドイツ軍。
その戦闘は幾度にも渡ったものの、初めに書いたように大した戦いも少なく、ドイツ軍は損害を受けつつも撤退を完了。
連合軍はディジョンと呼ばれる都市でパットン将軍の第3軍と合流し、9月11日、フランス南北の連合軍が連絡を果たすことになりました。

このマップ、前回のノルマンディー(後編)にも載せておきました。

ドイツ軍が駐屯していたトゥーロンとマルセイユも8月28日に解放され、南フランスから枢軸勢力を一掃することに成功し、この作戦は達成されました。


それはさておき,この作戦に反対していたチャーチルは、南フランスよりもバルカン半島を攻めるべきだと主張していました。石油を押さえるという軍事的な目的もあったようですが、ソ連の介入を防ぐという思惑もあったと言われます。
一方でルーズベルトはソ連に好意的だったとよく言われており、この辺りに政治的な駆け引きがあったりしたんでしょうか。
結局バルカン半島が軒並みソ連圏に入ったことを考えると、意外と影響の大きい作戦だったのかもしれません。


  さて『将軍の栄光』ではどうだったかというと、まず参加勢力は米仏、空軍として英連邦なのでこれは概ね史実通りです。上陸地点もトゥーロン、ニース間なのでこちらもドンピシャ。
フランス軍が内陸にいるのはやや解せませんが、マップのすぐ西はスペイン、東はイタリアに挟まれているため、海岸線が短すぎて地中海に配置できなかったのではないでしょうか。まあレジスタンスの代わりと考えれば悪くないかもしれません。

それよりも気になるのがスペイン軍です。
史実のスペインはフランコによる独裁政治が敷かれており、色々な面でナチスに協力する反面、いくら要請されても参戦は拒み続けた国でした。
しかし、このシナリオ内ではガンガン攻めてきます。フランコ自ら装甲歩兵を率いて。
何でまた…と思わないでもないですが、軍団モードでもスペインは枢軸に設定されてますし、この辺でスペイン軍も出しておきたかったのでしょうか。

あとは、目標町もマルセイユ、トゥーロン、ニースと、割と史実通りです。北端はディジョンではない・・・どころかフランスですらないミラノとジュネーヴですが、まあ致し方ないでしょう。ディジョンまで入れるとマップが2倍くらい縦に伸びてしまいますからね。

こんなところでしょうか。
記事も短いですがWikipediaの項目も大変短く、英語版のWikipediaも参考にしなければなりませんでした(よっていつもよりさらに信憑性が・・・)。知名度の低い作戦は大変です。
それでは。

2018年10月19日金曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説 後編(第七回・ノルマンディー上陸作戦)

今回の重要な地名です。
どうも。
今回は前回に引き続き、「ノルマンディー上陸作戦」の元ネタ解説です。
めちゃくちゃ更新遅くなってすみません。「てめえ何のために前後編分けたんだこのウスノロが!」と言われると返す言葉もありません。すみません。


それはそうと。
前回は作戦の前段階というか、連合・ドイツ双方の状況をざっとではありますが説明したところで終わっていましたね。

 では、いよいよ作戦実行・・・の前に、予定ではどうだったかを非常に簡単ながらご説明しておきます。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。

シェルブールが位置する半島の名前はコタンタン半島と言います。(書き忘れ
連合軍は上陸地点を5つに分け、西部の「ユタ」・「オマハ」ビーチをアメリカ軍が、東部の「ゴールド」「ジュノー」「ソード」ビーチをイギリス軍(とカナダ軍)が担当します。
さらに上陸直後の動きですが、
アメリカ軍はコタンタン半島の先端にあるシェルブールを本土から分断・孤立させ、その港を奪取します。大きな港であるシェルブールは物資や人員を送るために活用できるため、できるだけ早い占領が求められました。
その後、フランス西岸を南下しながら港湾施設を占領します。

同様にイギリス軍は交通の要所カーンを占領し、アメリカ軍の側面を守るとともに揚陸や空軍施設の整備を行い、パリへの足掛かりを固めます。

こうして補給港と軍備を万全にしてから、アメリカ軍・イギリス軍ともにパリ方面のフランス東部へと進軍する予定でした。


 それじゃあ実際はどうだったか書いていきましょう。といっても、あんまり長く書いても読みづらいですし、下手するとスマホ数ページ分になりますし、何よりWikipediaを丸コピペしても大差ないような内容になりかねないので、こちらもあまり個々の戦闘には触れず大きな流れだけを書いていきたいと思います。
幸い有名な戦いですので調べようとすればいくらでも出てきますから詳しく知りたい方はそちらで(人任せ)。


 さて、悪天候のわずかな晴れ間、6月6日の未明から連合軍の作戦は開始します。
上陸部隊に先立ち、防御機能の低下を狙って艦艇からの砲撃や空爆、敵後方への空挺が行われました。
しかし、経験不足や対空砲火などにより思いのほか空挺部隊が広範囲に散らばってしまい、海やドイツ軍が作り出した沼で溺死してしまうものも多かったとか。
それでも午前6時頃から一斉に、しかも怒涛の如く押し寄せた連合軍の上陸部隊に対し、ドイツ側は5つの地点全てで上陸を許してしまいました。

その理由が、ドイツ側の防御態勢の混乱にあります。
まず、前回でも少し触れましたが、ドイツは悪天候がしばらく続くと考えていました。そのためロンメル将軍など幹部は休暇を取っていたり、そうでない上級指揮官も兵棋演習で前線を離れていたりと、完全に油断していたようです。
また、上記の空挺部隊も期せずしてこの混乱を助長したようで、広範囲にわたって降下した彼らからはその目標や兵力を特定することができなかったとされています。

加えて、ドイツ軍は元々「フォーティチュード作戦」(前回参照)によってカレー地方が目標だと考えていましたから、これが本格的な侵攻作戦かどうかを判断できず、さらには上陸が始まってからすらもこれが陽動作戦ではないかと考え、カレー地方から兵力を動かせないでいました。
おまけにこれらの混乱を事前の爆撃やレジスタンスによる連絡網の破壊が助長し、ドイツ軍から正確な判断を奪っていたのです。


という訳で、ドイツ側は予備戦力に頼ることなく、各海岸の拠点が各自で戦うしかないような状況だったようですね。
以上のような理由から、連合軍の被害は(予想よりは)軽微で済みました。

ここまでで、少し詳しい人であれば「あれ?」と思うかもしれません。
この上陸作戦で最も有名な「オマハ・ビーチ」は、死傷率が50%と非常に大きな被害を出したからです。
ここは高潮で水陸両用戦車や上陸舟艇が沈没したり、目標地点とは違う場所に上陸してしまったりした上に、いざ対面したドイツの防衛部隊はほとんど爆撃・砲撃の被害を受けていなかったのです。
さらに不運なことに、上陸のつい数日前に配置替えが行われており、予想よりもはるかに精強な部隊が防衛していました。
それら想定外の出来事によりアメリカ軍は多くの損害を出し、一時はオマハ・ビーチの放棄も考えられたほどだったといいますが、防御をかいくぐった部隊が内陸から陣地を掃討し、何とか上陸を達成しました。


 とまあ例外はあったものの被害を抑えながら上陸を成し遂げた連合軍でしたが、一方で制圧地域は全く作戦通りになっていませんでした。
例えば上述したようにカーンは上陸当日に占領している予定となっていたのですが、(夕方になってようやく)反撃を開始したドイツ装甲師団によって妨げられました。

ちなみにこの師団、本来なら上陸が始まったら陣地を確保される前に反撃する役割だったはずなんですが、実際にカーンへ向かったのは午後になってからです。
ではシェルブール・カーンを占領したのはいつかというと、シェルブールは6月末。カーンはなんと7月下旬までかかっています。


 それでは、いかにして連合軍はここから侵攻を進めていったか。
便宜上、西部のアメリカ軍・東部のイギリス軍に分けて説明していきます。

 まずはイギリス軍から。
ドイツ軍はベルリンに近いカーンをより重要視しており、主力をカーン方面に置いた他、ヨーロッパ各地から装甲師団を集め、必死の防衛を続けていました(カレーを除く)。

ドイツの装甲師団は機動的な反撃を行い、一つの丘を取ったり取られたりという激しい攻防戦が起こりました。
最も有名な戦車乗りの一人、ヴィットマン中尉率いる大隊が30輌以上の戦車を破壊した「ヴィレール・ボカージュの戦い」が起こったのもここを巡る争いの最中です。
これ以降、イギリス軍は積極的な行動を避けるようになり、その後の侵攻を遅らせる原因になったとか。

 しかし、ドイツ軍も決して楽な戦いではありませんでした。
まず爆撃とレジスタンスの活動で道路・鉄道網が破壊され、輸送が困難に。
連合軍の爆撃機に狙われるため、援軍は夜に紛れて自走するしかありません。
さらにようやく着いても補給が損害を受け、万全の状態で戦うことができません。
そのため一気に戦力を集めることはできなかったため、現状維持がやっとだったようです。
例えばノルマンディー内陸には装甲師団2師団が控えていましたが、カーンに到着したのは上陸してから1,2日経ってからという有様です。まあ命令が出るのも遅かったですが。

7月上旬、イギリス軍の攻撃により比較的脆弱な部分から防衛線が崩壊、ドイツ軍はカーン北側から退却し、ようやく事態が少し進展しました。


 ではアメリカ軍はというと、こちらも攻勢は停滞していました。
ユタ・オマハのアメリカ軍は、その間のドイツ軍を追い払い連結を済ませた後、シェルブール攻略へと向かったのですが、守備が固く失敗します。戦いが長引くことが予想されたため、コタンタン半島を先に横断し、シェルブールを完全に孤立させてから攻めることとしました。
これは成功。要塞化されたシェルブール周辺拠点は粘り強い抵抗を見せましたが、側面・正面からの攻撃と艦砲射撃を受け、ようやく降伏しました。
ただしその前に施設を破壊していたため、この港の利用はしばらく制限されてしまいます。


シェルブールを落としたことで、アメリカ軍は本格的に南のサン・ローという町の方へと進軍します。実はここも上陸当日には制圧する予定でした。
しかし、こちらの攻略も上手くはいきません。理由はこの地方の「ボカージュ」という地形にあります。
ボカージュとは・・・まあ生垣ですね。といっても畦畔林と訳すように背が高く、視線や射撃、戦車の通行を妨げるほど頑丈だそうです。
それが道や畑に沿って区切るように植えられているため両軍ともに戦車を活用することができず、アメリカ軍はボカージュのうちに潜む何重ものドイツ軍の拠点を一つずつ白兵戦で制圧する他無かったようです。
地道な戦闘の末、7月中旬にサン・ローはほぼ制圧されました。



 さて、ここまでは両軍ともにうんざりするような膠着状態ですが、いよいよ戦況が大きく連合軍に傾きます。

7月中旬、イギリス軍・カナダ軍はカーン周辺のドイツ軍に対し大々的な攻勢作戦を開始しました。
作戦そのものは失敗で、カーンを占領した代わりに大損害を被ってしまいました。

 しかし、この作戦にはもう一つの目的があったのです。
陽動、つまりはドイツ軍の主力をカーン方面に引き付け、サン・ロー方面が手薄になったところでアメリカ軍が突破する、というものですね。
思惑通りドイツ軍はサン・ロー方面から部隊を引き抜き、カーン方面の防御を固めてしまいます。

その隙を突き、アメリカ軍は7月25日に「コブラ作戦」を開始。
集中的な絨毯爆撃と数度に渡る攻撃でドイツ軍の防衛線は次第に各所で破綻し、分散。
アヴランシュの幹線道路まで到達したアメリカ軍はいよいよ用意していた装甲軍団を投入します。指揮官はご存知パットン将軍です。

パットン将軍は今までの停滞ムードを吹き飛ばすかのように爆走。ドイツ軍の残存戦力ではもはや食い止めることができず、瞬く間にブルターニュ地方の大半がアメリカ軍の手に落ちました。
いやー、すごいですね。もちろんこの間もカーン方面で英・加の攻撃は続いていて満足に対処できないというのもあるんですが、流石の猛進っぷりです。そりゃ映画化もされるわ。

それに対しドイツ軍は(ヒトラー総統の強い意向を受け)、パットン将軍の退路を断って孤立させんと予備の装甲戦力をかき集め反撃に出ましたが、事前に察知され爆撃を受けてあっさりと失敗します。
そして行動を開始してからわずか2週間足らずで、アメリカ軍は南のナント、東のル・マンへと進み、さらに北上してイギリス・カナダ軍との連絡を目前にしていました。

すなわち、カーン方面にいたノルマンディーのドイツ軍主力がまとめて包囲寸前の窮地に立たされたのです。



さらに狭まっていく退却路に、8月16日、西方軍司令のクルーゲ将軍はついに総統命令を却下して退却を決定します。

※元最高司令官のルントシュテット将軍は、対英米和平に傾いたことで7月頭に解任されています。
ちなみに、ロンメル将軍が爆撃を受けて重傷を負った7月中旬からは軍集団司令官も兼任しています。大変ですね。
さらにクルーゲ将軍もこの抗命の直後、ヒトラー暗殺未遂事件への関与を疑われて更迭、ベルリンへと向かう汽車の中で自殺します。後任はモーデル将軍。

一方連合軍ですが、パットン将軍は友軍と衝突する危険性から進軍を停止し、包囲を閉じるのはカナダ軍とポーランド軍が担当することになりました。

しかし、ドイツ軍も必死です。
装甲師団の激しい抵抗に進軍を妨げられ、ようやく配置に着いてもドイツ軍の反撃により退却路を開けられてしまったりと、包囲までにはかなりの日数を要しました。敢闘はしたもののやはり力不足だった感はありますね。
結局、進軍を開始したのは12日ですが、完全に包囲が完成したのは21日になってからでした。

ですが、ドイツ軍の抵抗もここまでです。完成した包囲が再び破られることはなく、取り残された将兵は脱出の術を失いました。

このファレーズ包囲網を巡る戦いで戦死したドイツ将兵が約1万人、捕虜になったのが約5万人です。一方脱出に成功した人数ははっきりと分からないものの、2,3万~5万人は包囲から逃れたとか。
それらの人的被害は言うまでもありませんが、同時に数百輌の戦車をはじめ数々の兵器を失い、何とか包囲を逃れた将兵も装備をほとんど失っており、ドイツ軍は数個の師団が解体されるほどの大損害を受けました。


そして、連合軍は8月25日にパリを解放。
実は戦略的に意味が薄いこと、首都だけに激しい反撃が予想されることから後回しにされる予定でしたが、レジスタンスの蜂起やド・ゴールの偽情報すら交えた猛プッシュによりアメリカ軍も進軍を決定しました。
フランス人による歓迎で進軍が遅れたり、パリ破壊命令が出され、パリ指揮官がそれに従わなかったり(この時ヒトラー総統は苛立って「パリは燃えているか」と何度も確認したと言われています。)しましたが、特にこれといった戦闘はありませんでした。

その後連合軍は30日にセーヌ川を渡ることに成功し、ドイツ軍はセーヌ川以西から一掃されました。
こうして、オーバーロード作戦は成功に終わったのです。


  ドイツ軍が敗北した理由は色々あると思いますが、物量差と東部戦線での苦戦は言うまでもないとして、一番に挙げられるのは航空戦力の圧倒的劣勢ですね。実のところ、陸軍を支援するための事前砲撃・絨毯爆撃は成功率が低く、自軍を誤って攻撃したり、オマハ・ビーチのように損害を免れたドイツ軍によって予想外の反撃を食らったりする事もしばしばあったようです。
しかしドイツ軍の輸送を遅滞させたのは間違いありませんし、ドイツ軍の反抗作戦が爆撃で阻止されることもありました。ちなみに約3か月の作戦中、出撃した回数は48万回だとか。
また、しょっちゅうヒトラー総統が軍部に口出ししたのもドイツ軍の判断を遅らせる原因になったと言われています。

ただ、どちらかというと連合軍が苦戦した印象の方が強いんじゃないでしょうか?
どうにかすればドイツ側が勝てはしなくとも、終戦まで延々と膠着状態が続いたのではないかと思えるほどです。
あちこちのサイトを見ると、シェルブールを早期に占領できなかったことや、連合軍内の反目などが原因の1つと言われていましたが、「これ!」という決定的なものは無く、結局のところ「ドイツ軍が予想以上に強かった」と言う他なさそうです。

まあ粘ったところで東部戦線の劣勢は覆らないわけで。もしかしたらドイツ以西が軒並み共産圏に入っていたかもしれませんが、いずれにせよ敗北は免れないかと思います。



 さて、いよいよ「将軍の栄光」ではどうだったか、解説したい・・・んですが、ぶっちゃけこのステージはかなり再現度が低いです。
全体的にマップの縮尺が広いため、ノルマンディーどころか北フランス全体に上陸するようになっています。ブルターニュに自軍、シェルブールに米・英・仏軍、ノルマンディーからカレーにかけて英・カナダ・ギリシャ軍(何故かポーランドではありません)が設定されています。
一応ノルマンディーは手薄に、カレーは堅固になっています(が、そのカレーに友軍が攻撃を仕掛けるという矛盾)。後はカーンやシェルブール、サン・ロー周辺などは防衛施設なども建設され、比較的守りが固くなっています。

作戦名から「ノルマンディー上陸作戦」ですから、ノルマンディーに上陸していないのは不自然と言えば不自然ですね。
あとは航空優勢などはシステム上再現不可能ですが、もしかするとアイゼンハワー将軍の空母がその代わりになっているのかもしれません。物量優勢は再現すると難易度が著しく落ちるのでこちらも致し方ないかと。

 (数少ない)再現ポイントは自軍の進軍ルートですね。
普通にプレイしていれば自軍はフランス北西端に上陸してから南下し、ナントを制圧した後にル・マン(と思われる目標町)を占領し、そのままパリを解放するという流れになっています。
これは恐らくパットン将軍の進軍ルートを模しているのでしょう。ファレーズ包囲戦が再現されていないため、そのままパリへと進むようになっているのだと思われます。
パリ防衛隊がロンメル将軍はじめステージ中最強なのは気になりますが、一番強い敵が一番奥にある方が燃えますからね。仕方ないですね。
それからドイツ海軍がほとんど障害にならない辺りも史実通りです。

 ただ、この作戦の意義や規模などを考えると、この再現度はやや残念かな、と思ってしまいます。
上陸地点がバラバラなのは縮尺が大きすぎてノルマンディーがめちゃくちゃ狭い範囲になってしまっているからでしょう。多分パリをマップに入れるためだと思いますが、それならいっそのこと上陸とパリ解放でステージを分けても良いくらいの作戦だと思うんですが。まあ他のステージの縮尺と大きく差が出てしまう可能性があるので、それはそれで問題かも知れません。


将軍の栄光で書けることがほとんどないという事実にビックリしながらも、この辺りで終わらせて頂きます。
もし足りない点があれば言っていただけば補筆したいと思いますのでよろしくお願いします。

それでは。

2018年9月1日土曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第七回・ノルマンディー上陸作戦)

  どうも。
今回はいよいよ西部戦線のハイライト、「ノルマンディー上陸作戦」(連合側『ノルマンディー上陸作戦』)の解説です。
史上最も有名な作戦の1つであり、数々の映画の舞台にもなっていますね。
中でもスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」は観たことのある方も多いと思われます。
今さら解説することも無いような気もしますが、とりあえず行ってみましょう。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。


まずは背景から。

 前回のハスキー作戦の際にも説明しましたが、フランス敗北以来西ヨーロッパは完全に枢軸の勢力圏となっており、ドイツ軍によるソ連侵攻作戦「バルバロッサ作戦」が行われる1941年6月には、膠着状態の北アフリカを除けば他に戦線は存在していませんでした。
必然的に枢軸軍の主力を引き受ける格好となったソ連は敗北を重ね、ヨーロッパに攻勢を加えて枢軸の戦力を分散するよう連合国に求めていました。

そういった背景から立案されたいくつかの反撃計画のうち、まず実行されたのが北アフリカでの「トーチ作戦」です。これで北アフリカ戦線は連合の勝利に終わり、「ハスキー作戦」を初めとするイタリア半島への侵攻計画に続いていきます。

そしてもう1つ実行されたのが今回の「ノルマンディー上陸作戦」が行われた「オーバーロード作戦」です。
ドイツが支配する北ヨーロッパに上陸し、そのまま本国ドイツへ侵攻しようという最も直接的な計画でした。

あんまりにも絵が下手だったので描き直し。


 もちろん、上陸地点にはノルマンディー以外にもいくつか候補地がありました。
イギリスから航空支援が可能な距離という制限の中で、最有力だったのがパ・ド・カレー(カレー地方)。地図を見れば分かる通り、最もイギリスに近いというメリットがあったからです。
ですが、それだけにドイツ側の警戒も強く、守りが固いといった理由からノルマンディーが選ばれたという訳ですね。まあ次項で説明するように、ドイツのその警戒心が裏目に出てしまうわけですが。


 さて、『将軍の栄光』内で「準備に1年以上費やしてきた」とアイゼンハウアー将軍が言っていましたが、確かに作戦実行の前年(1943年5月)には作戦が実行に向けて具体的に動き始めていました。
「史上最大の上陸作戦」とも呼ばれるこの作戦。その準備も半端ではありません。
大量の人・物資がイギリスへと集められ、水陸両用戦車などの新兵器も用意が進められました。

特筆すべきは欺瞞作戦「フォーティチュード作戦」で、目標があたかもノルウェーやカレーであるかのように集中的な爆撃を行ったり、国内ラジオを流したり、頻繁に無線で通信したり、果てはパットン将軍(精神を病んだ兵士を殴って謹慎中でした)を指揮官とする架空のカレー侵攻軍団を編成し、張りぼての戦車や施設を作ったりと、徹底してノルマンディーから目を逸らせようとしていました。
さらに、イギリスに送り込まれたドイツのスパイは全員諜報部に把握された上に多くが寝返って偽情報を流したため、ドイツ軍首脳部はカレーが目標であるとすっかり信じこんでしまいました。さすがジェームズボンドの国。

それからフランス各地に激しい空襲が行われ、輸送路が寸断されたということも付け加えておきます。(制空権に関しては終始連合国が握っており、上陸した後も何名ものドイツ将校が空爆で命を落としています。)
また、フランス国内のレジスタンスも同様に活動しており、鉄道を止めたり、電線などを破壊して通信網を寸断したそうです。これらが後にドイツの初動を遅らせる一因となるわけですね。


 さて、対するドイツの状況。
連合国の動きから反攻作戦は近いと踏んだドイツは、北部フランスを管轄するB軍集団の司令官にご存知ロンメル将軍を任命します。
また『大西洋の壁』と名付けられた、ノルウェーからスペイン国境までを守る長大な要塞線が建設されています。
が、あまり防衛の態勢が整っているとは言えませんでした。

まず、上で述べたようにドイツ軍の主力は東部戦線に集中していました。逆に西ヨーロッパで守りについていたのは士気の低い占領国の徴集兵や、東部戦線から戻って疲労した兵士たちです。
また、「大西洋の壁」は実のところその多くが未完成であり、最も警戒されていたカレー地方でも計画の80%、ノルマンディーは20%程度しか完成していなかったそうです。
というのも、その建設に着手したのが、ソ連侵攻作戦が怪しくなってきた1942年からだったため、時間も資材も人員も足りなかったのでしょう。

ただロンメル将軍が着任してからは、兵員を強化したり、空挺対策に沼地を広げたり、自ら考案した障害物などを設置したりするなど、急ピッチで強化されていったそうですが。
そうそう、将軍の栄光に「大西洋の壁」というステージもありましたね。
あちらはナチスドイツが逆にアメリカ上陸作戦を行うという設定でしたが、アメリカ側の防衛線という意味のタイトルだったんでしょうね。
まあ流石に計画すらされていないようでしたので、元ネタ解説はありません

また、ドイツ首脳の防衛構想も一致していません。
ロンメル将軍は、連合軍が上陸した際に全力で撃退するべきだと考えていました。上陸直後は遮蔽物も無ければ戦車や重火器を十分に準備している暇も無い、おまけに防衛部隊ががっちり構えているところへ飛び込む訳ですから、最も脆弱と言って良い時間帯なのです。
そこに自慢の装甲師団をぶつけ、一気に撃退してしまおう、という作戦ですね。

しかし、西方最高司令官ルントシュテット将軍をはじめ、ドイツ陸軍幹部の多くはそれに反対しました。装甲師団の強みは機動力であり、前線に張り付いて防衛を行っていてはその機動力を活かせません。また、海岸線近くに控えている装甲師団が艦砲射撃で被害を受けるという恐れも十分ありました。
それよりも、装甲師団は内陸で温存しておき、連合軍をあえて内陸部へと引き込むべきだと主張したのです。上手くいけば連合軍の後背を叩き、退路を断つことすら可能でした。
素人目にはどちらも一理あるように思えますが、結果的に言えばロンメル将軍の方が正しかったようです。詳しくは次回に説明しますが、連合軍の爆撃機によって装甲師団が迅速な動きをとることはできなかったのです。

双方譲らず、対立を収めるためにヒトラー総統はロンメル将軍に3個師団の指揮権を与え、残り4師団は自分の承認無しに動かせないようにしました。ノルマンディーが標的になりうると考えていたロンメル将軍は、その3個師団のうち2個師団をカレーに、そして1個師団だけをノルマンディーに割り当てました。
この装甲師団は上陸当日、連合軍の侵攻の出鼻を挫く活躍をしています(そしてその日のうちに半壊しています)。


 さて、そんな双方の状況のもと、1944年6月6日午前0時ごろから連合軍の作戦が開始します。
当初は6月5日が計画実行日、『D-day』だったのですが、悪天候で日付が変わってしまいました。

ドイツの西方最高司令官は前述の通りルントシュテット将軍、そして司令官はロンメル将軍。
連合側の最高司令官はアメリカ軍のアイゼンハウアー将軍、司令官はイギリス軍のモントゴメリー将軍です。
アイゼンハウアー将軍は後に大統領にもなることで有名ですが、第二次世界大戦が始まった当時はまだ中佐でした。それがこの時には陸軍大将で作戦最高司令官。凄い出世ですね。
あ、僕は元帥でも少佐でもまとめて「将軍」と呼んでしまう悪癖があります。見逃してください。

その他、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった英連邦のほか、フランス、ポーランド、チェコスロバキア、ギリシャ、ベネルクス三国、ノルウェーなどなど、これまでこれまでドイツが滅ぼしてきた国の亡命政府軍が参加しています。まるでオールスター。
「将軍の栄光」で登場したのは英米仏を除けばカナダとニュージーランド、ギリシャだけですが、英米仏以外ではカナダ、ポーランドくらいしか目立たないため致し方ないでしょう。なぜギリシャが入ってポーランドが入っていないのかは知りません。

一方のドイツ軍ですが、諜報部は連合軍がフランス国内のレジスタンスに向けて流した、上陸を知らせる暗号を解読していました。
もちろん諜報部は各方面に警報を出していたのですが、連絡の不備や「まさかラジオで暗号を流さないだろう」という先入観などから、どうにもあまり真剣に受け取られなかったらしく、警戒態勢をとったのは何とカレー地方の軍のみでした。

さらに、その数日前からしばらく悪天候続きの予報であったためドイツ軍は完全に油断しており、ロンメル将軍に至っては奥さんの誕生日を祝うため休暇を取っているほどでした。
ここ、割とほっこりエピソードですよね。こういうエピソードが残っているのも現代でロンメル将軍が(ナチスドイツの将校の中では)好まれる一因かもしれません。



ではいよいよ作戦の詳細に移りましょう、と言いたいところですが、案外長くなってしまいましたので今回はこの辺で。「将軍の栄光」がらみの話はほとんどありませんでしたが、まあ次回に持ち越しということで勘弁してください。

次回は近いうちに更新し・・・たいと思います。
それでは。
連合軍の上陸地点。詳細は後編で。

2018年8月16日木曜日

スマホゲーム『WW2:Sandbox.Strategy & Tactics』の紹介。

  どうも。毎日更新しているブログも多い中、月イチ更新が常態化している摂福です。

今回も、僕が今はまっているターン制ストラテジーのスマホゲームをご紹介させて頂きます。
その名も、
『WW2:Sandbox.Strategy&Tactics』
というアプリです。


まあ名前から分かると思いますが、WW2を舞台にしたゲームで、
プレイヤーは枢軸・連合に分かれた諸国の中から一国の軍隊を指揮し、目標の達成を目指します。

以下、大まかなゲーム内容の説明と感想になります。

〇マップ

  マップはヨーロッパ&北アフリカとアジアの2種類。

よくある六角形のマスではなく、地域(ゲーム内では州と呼ばれます)で分けられています。
州の形は様々で、多くの州が入り組んだ地域や、逆に正方形に区切られたアフリカのような地域もあります。
つまり守りやすい地域、攻めやすい地域があるということです。

州によっては赤い照準マークがついている首都があり、これを失ってから3ターン経つと、その国は降伏します。
が、その後も定期的にゲリラが勃発しますので、兵を配置していないとその国は復活してしまいます。ゲリラは他の州でも起こりますので、征服地が増えたらあまり前線に集中させすぎないほうが良いでしょう。

他に工場マークや箱マークに数字の付いた州もありますが、
工場マークや港マークのある州ではユニットの生産(ゲーム内では援軍とされています)拠点となり、数字の書かれた州ではその数が毎ターンの収入に加算されます。
まあ見たまんまですね。

〇ユニットができる行動

  プレイヤーが操作するユニットは1ターンに1度までしか行動できず、移動または攻撃を行うと行動終了となります(例外:機械化歩兵&戦車)。
戦闘時、攻撃側が勝てば防御側のいた場所に移動し、防御側はその周囲に押し出される形で移動します。
戦闘を行うと、勝敗に関わらず戦力に応じてお互いダメージを負い、部隊のHPが無くなれば消滅します。
つまり、よっぽど戦力差が無ければ一度の戦闘で敵を全滅させることはできず、まともにやっていては延々と殴り合いを続ける羽目になりかねません。

が、周囲が全て自軍以外のユニットに占領されている状態で防衛に失敗すると、残りHPに関わらず全滅してしまいます。
この際周りのユニットは1体で良く、また同盟国の軍であっても関係ありません。

非常に魅力的ではありますが、意外と難しい条件です。
特に敵の前線を突破し、後ろに展開して包囲...みたいな電撃戦まがいの芸当は困難ですので、
敵を引き付けてから用意していた部隊で退路を断つというのが基本ですね。
多くの勢力が入り乱れている場所だと、敵の退路がその分狭まるので楽です。

〇海軍・空軍

  それから慣れるまで難しいのが海&空軍。
海軍ユニットの役割は、敵の海路を遮断して敵を孤立させたり、沿岸の敵を攻撃して陸軍を援護することです。
陸地と陸地の間の海には海路が設定されていることがあり、その両岸は基本的に地続きとして扱われるのですが、
そこを海軍ユニットで占領すると、敵国はそのルートを通れなくなります。
これを利用し、敵の侵攻を防いだり、攻めてきた敵の退路を無くして全滅させたりといった戦術が可能です。

また陸上への攻撃も中々強力なので、上陸作戦に先駆けて敵を減らしておく...なんてこともできます。
ただし、潜水艦だけは陸上へ攻撃できません。当たり前ですけど。

  一方の空軍ユニットは戦闘機と爆撃機の二種類。
爆撃機は陸軍・海軍ユニットに空襲を行い、ダメージを与えることができます。とても射程が広い上にダメージも大きいため、あると心強いユニットです。
めちゃくちゃ高価なのでこいつを援軍として呼べる頃には多分もう勝ち確だと思いますけど。

対する戦闘機は、そんな爆撃機の空襲に対抗しうる唯一のユニットです。
専用コマンド「哨戒」を実行しておくと、移動可能範囲内に対する空襲に反撃を加えることができます。
爆撃機は戦闘機に弱いので、自分が空襲を行う際は敵戦闘機がいない地点を狙いましょう。
なお、戦闘機も一応空襲を行うことはできるんですが、まるで効果が見受けられないので恐らく爆撃機の護衛用という位置付けなんだと思います。

そんな二種類の空軍ユニットですが、陸軍とは別枠で設定されているため州を奪ったり占領を防いだりはできず、配置している州を奪われると全滅します。
まあ、とても移動範囲が広いので敵が近くにやってきたら待避させれば良いだけなんですが、あまり離れると今度は空襲や哨戒ができなくなるというジレンマ。

〇ユニット以外の行動

  「援軍」コマンドについて。


援軍は基本的に前述の工場マークがある州でのみ購入できます。
工場州が無ければ全領地の中からランダムに登場しますが、前線から離れた場所に現れたりするのでオススメはしません。

なお、占領したターンにはその州に呼ぶことはできません。
また援軍が来るのはコマンド実行から1ターン経ってからなので、少なくとも3ターンはその州を保持する必要があります。
じゃあ援軍を呼んでから工場州を取られたらどうなるかというと、援軍は別の工場州に登場します。他に無ければ全滅。

例外的に、空挺部隊を使って敵領地に直接攻めることも可能です。
即時実行なので今すぐ戦力が欲しい!という場合は重宝しますが、その分割高となっております。
いずれも再実行可能になるまでには数ターン必要ですのでお忘れなく。

ユニットの種類は安価で数が多い歩兵、機動力の高い機械化歩兵と戦車、戦車に強い大砲などがあります。
特に戦車は機動力・戦闘力ともに陸軍最強なのですが、一度に購入できるのが1体だけなので数を揃えにくいのが難点ですね。

  それから、「研究」というコマンドもありますね。
資金を使い、ユニットの強化や収入の増加、援軍の再実行に必要なターン数の短縮などができます。
恐らく重要な要素なんだとは思いますが、かなり高価なのでついつい援軍を優先してしまう僕。戦略眼はありません。


〇感想

  プレイ感としては、非常にボードゲーム(ウォーゲーム)に近い、というかボードゲームをスマホでプレイしているような感覚です。
事実、ゲーム内のヘルプにはダメージ表まで載っています。全部英語ですが。

特殊なギミックもこれといってありませんし、同盟国も固定。国によるユニットの性能差も(恐らく)ありません。
演出も全くと言って良いほどありません。
とりわけ地名が分かりにくく、空襲などを受けた際、いちいち地図を拡大して書かれた地名を一つ一つ確認するのは大変面倒ですね。
あとはAIもあまり賢くなさそうで、COMターンをスキップせずに見ていると離合集散を繰り返す様を見ることができます。
そうそう、COMターンスキップ中のスクロールがやたらカクカクしているのも気になりますね。

ですが、色々な国を自分の手腕で勝利に導くというのはやはり燃えますし、黙々と進められるので一度始めるとついつい時間を忘れてプレイしてしまうゲームです。
なんと言っても多くの敵を上手く包囲殲滅できた時は非常にスッキリします。
マジで1時間2時間はあっという間なので、寝る前にちょっと・・・みたいな感覚で起動すると寝不足でえらいことになりますからご注意を(実体験)。

それでは。






2018年7月8日日曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第七回・ハスキー作戦)

 お久しぶりです。なんか毎回言ってますねこれ。
今回の元ネタ解説は「ハスキー作戦」(西部戦線・連合側『ハスキー作戦』)です。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。



 まず、作戦の前提から。

1943年5月、北アフリカでの戦闘、アフリカ戦線が連合側の勝利に終わりました。

そこで、次は枢軸に支配されているヨーロッパ本土を奪還すべく、また東部戦線のソ連をさらに援護するために、急いでヨーロッパへの上陸作戦を計画します。

そこでまず実行されたのが、イタリア半島の先端からすぐ南西にあるシチリア島への上陸作戦、「ハスキー作戦」です。
島といっても半島から約3キロしか離れてませんから、もはや本土といっても過言ではありません。
もちろん本土上陸作戦にも有用ですし、ここを抑えれば(東)地中海はほぼ完全に連合側の手に落ちると言っても過言ではありません。




その前段階として、連合はシチリア島のさらに南西にあるパンテッレリーア島を攻撃します。
爆撃と砲撃を雨あられと受け、島の施設は損壊。
戦闘らしい戦闘もなく降伏し、これでアフリカからシチリア島までの地域は連合の支配下に落ちました。

 その一ヶ月後、1943年7月にハスキー作戦が実行されます。

対するシチリア島は連合に制空権・制海権を握られている上、装備の充実したドイツ軍は少数しか参加していませんでした。
実はこの理由の1つとして、少し面白いエピソードがあります。
イギリス軍の流した偽情報により、ドイツはシチリア島が攻撃目標ではないと思い込み、
シチリアに割くべき部隊をギリシャやサルディニア島に当てていたのです。
ここでは割愛しますが、気になる方は「ミンスミート作戦」で検索すると色々と出てきますのでよろしければ。

また、ムッソリーニに弾圧を受けていたシチリアンマフィアが連合側と内通するなど、枢軸側にかなり不利な情勢だったようです。

そんな中でも枢軸側は善戦し、幾度か連合軍の上陸を退けます。が、やがて西部の防衛線が崩壊し、島西部は連合軍に制圧されます。

赤:アメリカ軍 オレンジ;イギリス軍 青:枢軸軍

枢軸軍は後退しながらも防衛線を再構築しますが、連合軍がイタリア本土とシチリア島をつなぐメッシーナ海峡を占領しようとしていたため、ドイツ軍はシチリア島放棄を決定。これが1943年8月のことです。


 予想外の苦戦を強いられた連合側でしたが、この戦いの影響はやはり大きかったようです。
もともとファシスト党内ではアフリカ戦線で劣勢が明らかになりつつある枢軸を脱退し、連合側との単独和平に動くべきだという意見が出ていたのですが、このハスキー作戦が決定的だったようです。

シチリア島での敗北が明確になったにも関わらず単独講和を否定するムッソリーニに対し、ついに解任決議が可決。
追って国王エマヌエーレ3世が勅令を下し、ムッソリーニは正式に解任され、身柄を拘束されました。
が、新政権による水面下での和平交渉は難航し、連合側によるイタリア本土上陸作戦が実行に移された1943年9月、やっと無条件降伏を受諾。

ところが今度は降伏を察知していたドイツ軍により北部イタリアが占領され、救出されたムッソリーニの傀儡政権「イタリア社会共和国(通称サロ共和国)」が樹立されました。
これ以降は南北の連合軍とドイツ軍にそれぞれイタリア兵が参加する、という格好になってしまいます。

ちなみにイタリア半島の侵攻作戦は上手く行かず、ナチスドイツが降伏する1945年まで延々と続くことになります(イタリア戦線の終結が1945年5月4日、ドイツの降伏が5月8日)。



 さて、「将軍の栄光」との関連について。
この作戦では、島の西部はアメリカ軍(司令官パットン)、東部はイギリス軍(司令官モントゴメリー)が担当しました。
東部は北上するとメッシーナ海峡に到達するので、島の位置関係から見るにイギリス軍の方が重要かな?と思ったら、やはりWikipediaでも「北アフリカでの戦闘結果より錬度に不安があるアメリカ軍を助攻とし、イギリス軍を主力とするとした。」
とありました。

青色は枢軸側。東岸ががら空きに見えますが、そうでもありません。多分。

「将軍の栄光」でもアメリカ軍とイギリス軍が参加していましたが、その際に登場した将軍もパットンとモントゴメリーでしたね。他にも色々いましたが。
パットンが「イギリス軍に遅れを取るな!」などと言ってたのも、主力を担えなかったことに発奮していたのでしょう。
(口だけではなく、パットン将軍は史実でシチリア島の州都パレルモを占領し、シチリア島陥落の功労者となっています。そのせいで面目を潰されたモントゴメリー将軍の恨みを買ったとか買ってないとか。)

 ただし、進軍ルートは全く違います。
史実では南端から上陸していますが、ゲーム内ではシチリア島の西端から上陸するようになっています。
一応史実通りにできない事もないと思いますが、イタリア海軍が邪魔なので・・・
ていうかイタリア海軍が出張ってる時点で史実とは違うんですけどね。

ただ、ステージ途中でイタリア軍の士気が下がるというイベントに着目してみてると、おそらく上陸地点が違うのはシチリア西部を占領した辺りでこのイベントを発生させるためだったのでしょう。
事実、ムッソリーニの解任が行われたのはシチリア西部が陥落した直後のことでしたから。

 また、目標都市がイタリア半島にも設定されているのは、ハスキー作戦後のイタリア半島上陸作戦が行われたことを示すためでしょう。
まあイタリア半島を守っているのが実際には参加していないロンメル将軍で、さらにシチリア島にはイタリア軍しかいないという差異はありますが。
(難易度の観点から登場する将軍が史実と違うのは、このゲームではよくある事です)。

 それから、アイゼンハウアーが「対空砲のせいで爆撃が効かない!」みたいなことを言っていたのも、連合軍が制空権と制海権を握っていながらも苦戦したことを表現していたんですね。
最初に「イギリスと行う最初の共同作戦だ(うろ覚え)」と言っていたのもその通りで、それ以前にも協力して戦うことはありますが、今回のように一方の指揮下に置かれていないのはこのハスキー作戦が初だと思います。
間違ってたら教えてください。


というような点を踏まえると、このステージは再現度高めと言って差し支えないのではないでしょうか。


 それから、以前「アシカ作戦」の元ネタ解説において、「軍艦と戦車では相手にならない」と書きましたが、このハスキー作戦において駆逐艦とティーガー戦車との撃ち合いがあったという記述があります。
結局戦車側が大破したそうですが、駆逐艦にも装甲に穴が開いたとあります。
という訳で、一応全く通用しない訳ではなさそうですね。
参考までに書き残しておきます。

それでは。







2018年5月30日水曜日

スマホゲーム『Frozen Front 1941』の紹介。


 どうも。
今回はコメントで教えて貰った『Frozen Front 1941』というスマホゲームアプリを少しプレイしてみたので、その感想です。


   


こちらがトップ画面。
オンラインは未プレイなので、キャンペーンモードの説明となります。

●概要

まず大まかな説明を。
このゲームは戦略シミュレーション、あるいはターン制ストラテジーと呼ばれるジャンルのものです。
舞台はタイトル通り、1941年から始まったWW2におけるナチスのソ連侵攻作戦。
両陣営それぞれにステージが用意されており、歩兵や戦車といったユニットを生産したり動かしたりして、設定されたメインミッションを達成するとステージクリアとなります。
ステージ途中でサブミッションが発生することもあり、クリアするとそれだけクリア後の評価が上がります。
時間制限はありません。

●ユニット

ユニットは大まかに歩兵系、戦車系、大砲系、支援車両系、そして飛行機系があります。
言わずもがな種類に応じて移動範囲や射程が設定されている他、地形による移動力の影響にも差があります。

当然ユニット間での相性もあり、例えば戦車なら、機銃歩兵よりも対戦車歩兵で攻撃する方がダメージが大きくなります。同様に、歩兵系に対しては対戦車歩兵よりも機銃歩兵の方が効率的です。

 また、ユニットを守る手段としては、「バンカー」「カモフラージュ」が存在します。
バンカーはユニットの被ダメージを軽減する効果があります。
カモフラージュはそのユニットが移動・攻撃するか、敵ユニットが隣接するまで視認できなくなり、攻撃対象にならなくなります。ただし平地や道路など、見通しの良い地形では実行できません。
撃たれ弱い歩兵系や大砲系はカモフラージュで隠れながら攻撃し、戦車はバンカーで的になりつつ守るのが定石でしょうか。
もっとも、どちらもゴールド(資金)が必要なのでいつも、という訳にはいきませんが。

●資源・弾薬・燃料・補給

このゲームで重要な要素が補給の概念です。
ユニットには「体力」の他に「弾薬」「燃料(歩兵系・大砲系以外)」のゲージがあり、それぞれ攻撃と移動で消費していきます。ユニットによって燃費に差はありますが。

体力はもちろんのこと、弾薬と燃料も尽きれば移動や攻撃ができなくなりますので常に気を配らなくてはなりません。
そこで、それらが減ってきたらその度に補給する必要があるのですが、逐一拠点に戻るのは非常に非効率です。

そこで、基本的には補給トラックというユニットが、拠点と各ユニット間を行き来して補給を行うことになります。
ただし、拠点自体の物資にも限りがあり、それが尽きると補給不可能となってしまいます。資金を消費して補給することもできますが、大した量ではないためすぐに資金が枯渇してしまいますのでオススメできません。


●感想

以下は、プレイした感想を並べていきたいと思います。
以前攻略を書いていた『将軍の栄光』というゲームアプリと比較しながら説明しますので、良ければそちらもご覧下さい。という宣伝。

  • ゴールド(資金)が全ステージ共通

 これが一番驚きました。
資金の多さはステージの難易度に直結します。資金はログボなどでコツコツ貯める事ができるため、その気になればユニットを生産しまくって圧倒することも可能かもしれません。
ありがたいのはありがたいんですが、攻略記事を書く場合はあまり嬉しくないシステムですね。

  • ミッションに種類が多い
 達成条件はさまざまで、例えばソ連側の第一ステージ「"スヴォーロフ"攻め・1」ではユニットを山間部に移動させること、となっております。
山間部ってどこだよ、という突っ込みはさておき、将軍の栄光では目標都市を全て占領するステージが主で、たまーに一定ターン守りきる防衛戦があるだけでしたので色々な目標があるのは新鮮でした。

  • 移動力が残っていれば何度でも移動できる

 「将軍の栄光」では移動も攻撃も1ターンに1度なので、移動した後に攻撃した場合はもう動けません。
一方このゲームでは移動力さえ残っていればまた移動できますので、射程外から敵に近づき攻撃、すぐに射程外に逃げるなんていう事も可能です。

  • ユニットの射程が広い
 全体的にユニットの射程が広めに設定されており、大砲系ならばなんと画面外からの攻撃ができるユニットもいます。
「将軍の栄光」ではせいぜい1マス、最大でも2マス離れた場所からの攻撃しかできませんので対処も楽なのですが、このゲームでは早めに見つけ出して撃破しないと苦しいかもしれません。
ま、燃費が悪いのでそこまで脅威ではないんですけど。

  • 反撃が1ターンに1度まで
    ユニットは、敵ターン中に攻撃を受けた際、射程内であれば自動的に反撃します。
しかし、それは1ターンに1回まで。
つまり、どうせ攻撃するなら同じ敵に集中して攻撃する方が効率的というわけですね。

これ、「将軍の栄光」未プレイの方には当たり前のように感じるかもしれませんが、「将軍の栄光」では何度でも反撃できたので個人的には意外でした。

  • 戦車が意外と弱い(というか歩兵が強い)
 「将軍の栄光」では、戦車系ユニットは敵を撃破した場合には同じターンに再度攻撃することもできますし、たとえ対戦車歩兵相手でもそうそう遅れをとることはありませんでした。
特に、強い将軍を乗せた重戦車はまさに無敵といった感じで、わざと敵の中に突っ込み攻撃を受けることで多くの敵に反撃、殲滅するなんてこともできました。

しかしこのゲームではそんな特殊能力はありませんし、重戦車ですら油断すると割と簡単に撃破されてしまいます。
戦車系や大砲系にはともかく、対戦車歩兵との戦闘は、生産にかかるコストを考えると割に合いません。
もちろん主力と言えるレベルではあるんですが、あまり過信はできません。

逆に歩兵は意外と強いです。
「将軍の栄光」では、歩兵は様々な施設を建設できる代わり、戦闘面では壁扱いが多かったので驚きました。

  • 飛行機が強すぎ
 飛行機は当然ですが地形に関わらず広範囲を移動でき、しかもかなり高い攻撃力を持っています。
中でも爆撃機は凶悪で、一撃で大抵のユニットが瀕死か撃破に追い込まれてしまいます。
見る限り敵がいない状態から前触れもなくやって来ては自陣を荒らしまわるので、非常に鬱陶しい存在です。

対空砲が一応の対抗策なのですが、それも致命傷を与えるまではいきません。
性能に見合うだけの高値ではあるんですが、敵として出てくるときはそんなの関係ありませんからね・・・
とにかく、敵が空港を保持している場合は間違いなく飛行機が登場すると思われるので、事前に対空砲を生産しておく方が良さげかと。


こんなとこですか。
攻略記事はまだ未定ですが、一応のアドバイスとして最初にプレイするなら枢軸側がお勧めです。スヴォーロフ攻め・1はやたら難しいので慣れてからの方がよろしいかと。
最後になりましたが、ご紹介ありがとうございました!

それでは。

2018年4月22日日曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第六回・群狼作戦)

 お久しぶりです。
今回の元ネタ解説は「群狼作戦」(西部戦線・枢軸側『群狼作戦』)についてしようかと思ったのですが、
後述しますがこの「群狼作戦」とは「どこどこを制圧せよ」みたいな作戦ではなく、むしろ戦術と言うべきものであり、解説すべき余地はあまりありません。
パスしようかとも思ったんですが、せっかくなので大戦中の海軍、とりわけUボートの動きについて解説したいと思います。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。


 WW2におけるドイツ海軍の任務は、ほとんどイギリスに対する通商破壊にあったと言っても過言ではありません。
その理由は単純に、イギリスの海軍とまともに戦って勝てるはずがないからです。
イギリスはワシントン・ロンドン海軍軍縮条約で多くの超ド級戦艦艦を廃棄しましたが、それでも世界トップクラスである事には変わりなく、WW1とその戦後処理で弱体化したドイツ海軍を圧倒していました。

参考として英独の主力艦の数を比較すると、
 イギリスの主力艦(戦艦・巡洋戦艦)15隻程度に対し、
 ドイツは巡洋戦艦2隻と戦艦2隻、そして主力艦としてはやや心許ないポケット戦艦が2隻。
 ちなみにイタリアは戦艦5,6隻程度。


 もちろん撃沈・修理・就役でこれらの数は増減しますし、各戦線での分布も異なるため一概には言えませんが、全体的に見て英>>>伊>独という構図は変わりません。


そこで、 ドイツ海軍は大西洋の商船を攻撃し、イギリス海軍が撃退にやって来る前に逃げるというのが基本方針となっていました。
その中で最も活躍した艦が、通称Uボートと呼ばれる潜水艦のシリーズです。U-571という映画が有名ですね。

WW1の際、商船を無差別・無警告で攻撃する「無制限潜水艦作戦」で多大な成果と武名(もしくは悪名)を手にし、ヴェルサイユ条約で保持・生産が禁止されていましたが、ドイツは国外に作った造船会社でこっそりと(?)技術を研究しており、
1935年に一方的にヴェルサイユ条約を破棄した直後から新型の製造を開始しています。


 1939年のポーランド侵攻時には60隻ほどを所有していましたが、うち大西洋まで航行できる型はわずか20隻程度であり、補給や修理を考えると実際に戦場で働いているのは7隻程度という有様。
この状況に対し、潜水艦隊司令デーニッツ提督はイギリスを降伏させるには航行能力の高い型のものが少なくとも300隻必要だと主張していました。

しかし、予算は主力艦に回され、結局ドイツ海軍がUボートを300隻同時に運用する事はありませんでした。
実のところ、陸軍で歩兵が主力とされ戦車の機動力が軽視されたように、海軍では海上の艦艇が重視され、潜水艦は当のドイツでさえ軽んじられていたそうです。
他にも、陸上兵器を始め様々な軍備を充実させる必要性もある中で、それだけの数を揃えるのが現実的だったのか?という点も考えなければならないと思いました(感想文?)。

 最初は国際規則にのっとり、商船を攻撃する際は積み荷を臨検し乗員を避難させた上で撃沈するという面倒な手順を行っていましたが、間もなくヒトラーにより制限は緩和され、最終的には中立国の船も含め、無警告で撃沈するようなります。無制限潜水艦作戦の復活です。
当然国際法違反ですが、まあ潜水艦で一々浮上するのも非現実的ですし、何より連合軍もやってますんで。


 それらの制限にも関わらず、Uボートは1939年9月のポーランド侵攻直後から北海・東大西洋で多数の戦果を挙げており、なんと空母や戦艦すらも撃沈しています。

これに対して、イギリスは普段バラバラに行き来する商船たちを集めて1つの船団にし、軍艦が護衛する護送船団方式を取り入れます。
さらに積極的な策として哨戒専用の艦隊を編成し、Uボートの探索にあたりました。
しかし小型かつ潜水能力の高いUボートを発見するのは困難であった上、
まだ発見する可能性の高い飛行機はこの時には潜水艦を攻撃する術を持っていませんでした。
イギリス海上艦の甚だしい不足と相まって、結果としてはあまり有効な策ではなかったようです。


 そんな感じで順調に商船を沈めていたある時、Uボートに出撃禁止命令が出されます。
ノルウェー侵攻作戦、「ヴェーザー演習作戦(→元ネタ解説)」に参加するためです。

この作戦は非常に珍しい事にドイツ海軍の多くが海上輸送の護衛などに従事していましたが、Uボートもその中に加わっていたのです。
厚い氷と魚雷の不具合によってここでは大して活躍する事ができませんでしたが、ドイツの駆逐艦は10隻、巡洋艦は1隻撃沈されているのでそれに比べればマシですね。

ちなみに結果として占領に成功し、ノルウェーにはいくつかUボートや航空基地が作られました。

それよりもはるかに重要かつUボートにとって最大の幸運が訪れたのが1940年のフランス侵攻。
地図を見て頂ければ分かると思いますが、フランス西岸の港からであればわざわざイギリス本土を迂回しなくとも大西洋に進出できます。
単純な距離としても大幅に短縮され、活動時間も範囲も格段に延びました。

しかもダンケルク撤退戦などでイギリス駆逐艦は減少の一途。
ここまではUボートの勝利と言ってまず間違いないと思われます。

  そんな中で、いよいよ「群狼作戦」が導入されました。
本来は単独で活動するように想定されていたUボートでチームを編成し、偵察機が発見した船団の予測進路で待ち伏せ、包囲殲滅するというものです。
あるいはUボート自身が船団を発見したら周囲の艦を無線で呼び包囲するという戦術だとする記述もありました。

まあいずれにせよ、簡単に言えばUボートによる集団攻撃ですね。
先述の通り数の少ないイギリス護衛艦では複数のUボートに対処できず、確かな効果があったようです。


 ですがここからしばらく、Uボートの戦果は上昇と下降を行き来します。
その要因の一つがイギリスの電波兵器の開発です。
開戦以降、イギリスはレーダーを始めとする電波系の兵器の開発を熱心に進めていました。
その結果小型化したレーダーは哨戒機にも搭載され、Uボートは夜間でさえ浮上中に発見される危険が生じました。
また哨戒機にも対潜装備が備えられたので、上空にも気を配る必要が出てきます。

さらに1940年9月、アメリカはイギリスに50隻の旧式駆逐艦を貸与しています。これらは対潜装備を整え、護衛兵力に加えられていきました。
後は変わり種として商船を簡易の空母などに改造した「CAMシップ」なども登場し、この辺で本当にカツカツだったんだな・・・と感じます。


他方で、ドイツは対ソナー装備やレーダー逆探知装備、新型魚雷等の兵器の開発や群狼作戦などで対抗します。
その他照射ライトだの何だのと非常に激しい開発合戦が繰り広げられますが、難解なので省略します。


 さて、この間ドイツの海上艦艇はほぼ壊滅し、首脳部は比較的安価で製造しやすく、かつ多くの実績を重ねてきたUボートを海軍の主力と定めます。
その証拠に、ヒトラーは水上艦隊の解体を宣言した事もあるほど(後に撤回)です。最初とはえらい違い。
実は海上艦艇も実力の割には活躍しています(巡洋戦艦フッドを撃沈したビスマルクが有名ですね)が、ここでは割愛します。

そのUボートの撃沈量は、むろん技術の進歩と艦艇数自体の増加があった事もありますが、アメリカへの布告(1941年12月)後でも着実に増加しており、アメリカ沿岸でも十分に成果を挙げていました。1942年には空母も撃沈しています。


 しかし、1943年以降、その活躍は次第に落ちぶれていきます。

まず北アフリカ戦線が枢軸側の敗北で終結し、そちらに割かれていた兵力が護衛船団に加わりました。
多くの空母も加わった事で、連合側の哨戒機が大西洋を広くカバーするようになったのです。

さらに上記の開発競争ですが、連合側が完全に優位に立ちます。
レーダーは進歩を重ね、海上に突き出た潜望鏡ですら発見できるようになりました。
とはいえレーダーは大型だったので、ソナーを搭載した哨戒機と攻撃担当の哨戒機の、通称「ハンターキラー」というチームが編成されました。

頼みの群狼作戦も、潜水艦の間で行われる通信を傍受できるようになった連合側にとっては逆効果に。
もちろんソナーも進化しており、潜っていてさえもすぐ攻撃を受けるようになってしまいました。

 結局新兵器や新型Uボートもその差を覆す事ができないまま、しかし連合軍の力を少しでも対Uボートに割くために、多くのUボートが撃沈を覚悟の上で終戦まで出撃し続けていく事になります。


 さて、「将軍の栄光」での潜水艦について。
潜水艦には色々と種類があるようですが、このゲームでは水上艦艇と同様に艦隊の一部として敵艦隊と戦う、艦隊型潜水艦という種類に近いものだと思われます。
当然以上のような通商破壊に従事したUボートとは全く異なりますね。まあゲームの性質上止むを得ない事ですけど。
またなぜか戦艦や空母に大ダメージを与えられるようになっていますが、これは良く分かりません。
多分ですが、ゲームバランス的な面からそういう特性が追加されているんじゃないでしょうか。
そういえば重戦車にも意外と突撃歩兵が有効だったりしましたね。EASYTECHさんは最強のユニットが最弱ユニットの群れに弱いという仕様が好きなのかもしれません。象がアリの群れに負ける、みたいな。


 それから、この『群狼作戦』ステージですが、元ネタとなるステージを見つける事ができませんでした。
ステージに記載されている年月は1942年12月。北アフリカ戦線でトーチ作戦が行われた時期ですね。
こりゃまた架空のステージかな、解説は無しかな、と考えていましたが、Wikipediaをくまなく探してみると、トーチ作戦の欄にこんな記述が。

北アフリカ上陸の「Gymnast(体育家)」、ノルウェー上陸の「Jupiter(木星)」、北フランス上陸の「Round-up(駆り立て)」、ブレストかシェルブールへの(本格的反攻ではない)限定的上陸である「Sledgehammer(大鎚)」が検討されていた。

・・・ノルウェー上陸?これだ!多分!


 という訳で、このステージの元ネタは、トーチ作戦実行が決定される前の原案の一つ、「Jupiter(木星)作戦」だと(勝手に)認定します。
まあ検討段階で却下された作戦なので、具体案は見つかりませんでした。
ゲーム内のステージ説明によると、ノルウェー沿岸のUボート基地を破壊し、通商破壊を妨害するのがイギリス側の目的とされています。
それが実行に値するのかどうかは分かりませんが、前記の通りノルウェー沿岸にもUボート基地は作られていたので、一応辻褄は合っている・・・と思われます。

プレイ時はドイツ潜水艦隊の数が少なすぎ!とか思っていましたが、よくよく調べてみるとイギリス海軍と正面切って戦ってただけでもむしろ異常な充実っぷりと言うべきかもしれません。

正直これ以上は書く事が思い浮かびません。ですので短文になってしまったかもしれませんが、これにて失礼させて頂きます。
それでは。






2018年3月4日日曜日

「将軍の栄光 攻略」番外編・軍団モード『シベリアへの進軍』



どうも。
以前あれだけクリアできないできないと騒いでおいてなんですが。

記事を書くのにたっぷり時間がかかったので分かり辛いと思いますが、実はあれから2週間で「シベリアへの進軍(枢軸側)」をクリアできていました。

 あるわーマジあるわー。「買ったばかりなのに壊れた!」って電機屋にクレームつけに持ってったらその場では普通に動いたみたいなパターンあるわー。


てなわけで、前回と同様にその経緯を書いていきたいと思います。


 まず選んだ将軍はナチスドイツのHolt。ドイツ軍の将軍3人の内では紛れもなく最弱です。中戦車だし。
ですが、残りのManstein、Guderianとの位置的に救援に向かいやすい上、所持しているユニット・拠点ともに最多なのがメリットです。(まあそれでもソ連軍と比べれば質量ともに劣っていますが)

別に他の2人・・・というか旧日本軍のOkamuraでもクリアできるかも(要回復薬)ですが、彼が一番しっくり来たので。
あ、Seishiroは何度か試しましたが多分不可能です。それっぽっちで何しに来たの?みたいなレベル。


 さて、MansteinもGuderianも放っておくと10ターン前後で全滅してしまうため、急いで援護に向かいます。
まずは上側の重戦車にVatutinを乗せ、こちらに攻め込もうとする敵を削りながら下へ向かい、その隙に残りの兵はMansteinの援護に回します。
ここで粗方敵を倒しておけばこの工場はガラ空きでも問題ないくらいでした。ただVatutinのダメージが厳しいので補給は必要ですね。
残りはグデーリアンの援護をするべく、その上側の工場へと向かいます。空襲がきついので対空砲を建てながら。


 5ターン程度で、各方面に激しい攻撃が始まります。Manstein方面はぶっちゃけ運です。
工場は空襲がある上に、当のMansteinが飛行機に無頓着なので歩兵で対空砲を建てて防御しつつ、後は敵を挟み撃ちにするようユニットを動かします。無理に攻撃せず、士気を下げる事に専念した方が良いかもしれません。

ここで今回最大のラッキーが。Rokossovski(敵)がガラ空きになった工場に単独で突っ込んだため、退路を断って完全包囲に成功したのです。
将軍重戦車とはいえ士気が二段階下がった状態では撃破も容易で、さらに自分で工場を占領した事で戦線を維持する事ができました。
これが無ければやがてここから自陣に攻め込まれ、非常に辛い戦いになっていたことは言うまでもありません。
まさか防御をあえて外し敵将を誘い込むとは・・・さすが稀代の謀略家と呼ばれるだけのことはあります。まあこの後彼も突撃してやられるんですけど←


 そして次々にやられていくGuderian軍団を横目に見つつ、工場を占領。ここにも対空砲はマストです。
占領直後から上、右、下と敵がワンサカやって来るのですが、大砲と野戦砲をメインに生産し、
守りを固めつつVatutinを筆頭に下の空港に攻撃を加え、こちらも占領します。

と軽く言っていますが、実際はかなり難しい局面です。
ただでさえ敵が多い上にVasilevskyが突っ込んでくる可能性も多々あります。まあ今回は日本軍方面に引き寄せられたみたいでこっちもラッキー・・・
というよりはセーブ&ロードの賜物なんですけどね。

鍵はやはり対空砲とVatutinでしたね。
敵のAIがやや賢いので、対空砲の無い位置にユニットがいるとそちらにも空襲がやって来ます。この辺りになると1ターンに各方面が5回は空襲を受けるため、重戦車といえど、HPが半分くらいだと一気に削られかねません。
特に工場と将軍周辺は絶対と言って良いほど対空砲が必要です。

また、空港に位置する野戦砲など敵の配置がいやらしいので、多少の損害覚悟で攻撃できる将軍重戦車は非常に頼りになりました。Holtは・・・まあ、ただの中戦車とさほど変わらないので。

対空砲を建てられる装甲歩兵は大事に。

 さて10ターンごろ。Manstein方面は随分寂しくなりましたが、侵攻軍を撃退したことで空襲以外は何の攻撃もありません。しばらくは放置です。
嵐の前の静けさ。右上の要塞砲群が怖い。

 問題はGuderian方面。友軍はほぼ壊滅です。ひょっとすると直接援護に向かった方が良かったかもしれません・・・が、取りあえずこのまま進みました。

 Vatutinは下のKonev軍団を攻撃。バンカーに乗っているとは言え野戦砲、重戦車でとっとと破壊します
空襲の恐れもなく、単独でも補給を怠らなければ町を落とせました。
町を占領したらすぐ上に戻り、そろそろ厳しくなってきた工場の救援に向かいます。

 一方Holtと戦車隊は右の都市群へと進撃。厳しいかと思いきや、実は以外と手薄で結構簡単に占領できます。
ここの空港を取れば、先述の工場周辺以外はひとまず対空砲の心配は無用になりました。

ただし、ここで留まっていると右も上からもソ連軍に襲われ、とても守り切れなくなってしまうため、損害覚悟で一旦右に進み、戦線を押し込んでおきます。
この間に町で歩兵を量産して壁を形成し、Holt達を退避させて補給する時間を稼ぎます。



 20~25ターンくらい。Manstein軍団がソ連軍にちょっかいをかけたせいで画面上側にも攻撃が再燃。歩兵メインなので装甲車を毎ターン生産して対処するしかありません。
歩兵と要塞砲が押し寄せ、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎ。
反面、下側は敵の攻撃も止み、比較的優勢になりました。ここでいい加減鬱陶しくなったので、EKATERINBURG周辺に攻撃を加えようと画策します。
工場周辺は引き続き大砲・野戦砲で守りつつ、HoltとVatutinで侵攻するのですが、狂ったように空襲を連打してくるため、対空砲を建設しながら進んでいきます。

ここで多用したテクニック・・・と言うと大げさですが。
単に歩兵で対空砲を建てながら進むだけだと、敵の数が多すぎて敵ターンで歩兵を倒されて対空砲が機能しなくなる場面が多々あります。
そこで、まず歩兵だけを先行させて対空砲を建てておき、その歩兵がやられた次のターンで、耐久力の高いユニットを対空砲があるマスに滑り込ませるのが有効でした。
歩兵がやられてしまうと確率で施設も消えてしまうので必ず上手くいくとは限りませんが、重要なユニットがやられるよりはよっぽどマシです。

というか、Zhukov軍団は1ターンに10回は空襲・空爆してくるので少なくとも毎ターン資金1000は消費しているわけですが、一体どれだけの収入があるというのでしょうか。
この段階でこちらの収入は毎ターン金300がせいぜいなんですが・・・(疑いの目



右に見える要塞砲とバンカーには全て敵が配置済み。めんどくせえ・・・

 30~40ターンごろになると、装甲車を量産したおかげで敵を押し込む事に成功。ただやはり装甲車では力不足で占領には至らず、かといって放置する事もできず、膠着状態に陥ってしまいました。ここはクリアまでずっとこのままです。今思うともっとやりようがあった気も。
激戦を物語る施設の跡。
下側はやはり優勢です。
とうとうZhukovが射程圏に入ったので、工場で生産した野戦砲で遠巻きに攻撃しつつ、Vatutinと重戦車で湧き出て来る敵を消していきます。
もう勝ちは見えていますが・・・歩兵が枯渇して対空砲が足りず、都市群の占領が遅れたのが悔やまれます。

Holtは位置関係上攻撃しづらかったのと、右端の敵を放置するのが怖くなったため、一転して歩兵たちと共に右端の都市群に進んでいきます。
ですがVasilevskyなどの敵将軍による反撃などもあり、こちらは上手く行きません。
まあ邪魔な将軍を倒せただけでも良しとします。


 こっからはスクショでサクサクっと行きます。何かデジャブ。
EKATERINBURG周辺を制圧した後、Holtの救援と上の都市群に分かれ、さらにVatutinはその上の都市に向かいます。が、ここは普通に上に向かってた方が時間短縮になっていたと思いますね。反省。

もう対空砲はさほど重要ではありません。やはり空襲は続くのであるに越したことはありませんが。


 Vatutin、Holtは敵を殲滅したら上の残りの都市群直行or残党狩りです。
まあその他の選択肢が無いので言わずもがなですが。

 上に向かった方は空港→都市群→左の膠着地域へ。
敵の数はまだ多いものの、もうゴリ押しで十分クリアできるレベルです。

挟み撃ち。Vatutinは右端の都市を攻撃してます。
程なく占領でき、これでゲームクリア!と思ったら終了せず。
あれ?バグ?と思いながら敵を探していたら・・・

いました。画面左下隅に。
この程度なら左で棒立ちしているグデーリアン軍団に何とかして欲しかった、とか、そういえば友軍が途中から生産すらしてなかったな、とか思いながら攻撃。
そして無事クリア!


 ぶっちゃけ40ターンくらいでもう大勢は決まってましたが、要塞砲と歩兵の群れが予想以上に時間を食ってしまいました(負け惜しみ)。


ともかく、今回はこれで終わりです。
時間がかかった割に色々と説明足らずだったかもしれませんが、そもそも枢軸側が弱すぎますのでこの記事通りにやってもクリアできるとは限りません。
それでも良ければ、自分が何もしないと友軍が全滅する地獄のステージ・・・是非試してみてください。

それから、そろそろ携帯がバラバラになりそうなので、機種変を機に攻略ゲームも変えようかと思っています。
元ネタ解説は一応西部戦線は済ませるつもりですが、残りはどうしようかなーという感じです。ステージを見れなくなると将軍の栄光関連の話も難しくなりますし。

という挨拶を末尾にチョロっと加え、今回は締めさせていただきます。
では。

2018年2月10日土曜日

お久しぶりです。

 どうも、あけましておめでとうございます。というセリフを2月に言う異常性。

さて、今まで更新もせずに何をしていたかというと、軍団モード「シベリアへの進軍」をプレイしていたんですが、何回やってもクリアできず、
「将軍の栄光」元ネタ解説を書いてみたり、シナリオモードの☆5クリアを目指してみたりと、色々やっていました。
シベリアへの進軍マジ難しすぎ。20時間はプレイしましたね・・・

で、やっとシナリオモードの☆5クリアが完遂できたので、こうして報告がてら更新に踏み切った次第でございます。
長期放置していたブログを更新する。こういう勇気もあるんです(開き直り)

各ステージとも回復薬を5個ほど使う計算となっておりますが、もしよろしければご覧ください。
軍団モードの方は・・・期待せずにお待ちください。

 それでは。