2016年1月6日水曜日

「どこでもドア」の都市伝説を否定したかった

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 さて、皆さんは「どこでもドア」の都市伝説をご存知でしょうか。あのドラえもんのひみつ道具の中の一つで、ドアを通せばどこへでも行けるという夢のような道具です。ご存じでない方の為に大まかに説明すると、
「どこでもドアをくぐった瞬間本人は分解され、行き先で再構築されている」「くぐった瞬間消滅し、ワープ先で本人の記憶を持ったコピーが新しく作られている」
というものです。
どこでもドアは作中で何度も使われているだけに、とても怖い話です。
ですので、今回はそれを否定したいと思います。
先に言っておきますが、科学的知識は0に等しいので憶測です。

否定の根拠①:空間を直接繋げている以上、そんな機能は必要ない

 作中ではうっかりのび太が宇宙に直接行こうとする事がありました(『地球脱出計画』)。
その時空気がものすごい勢いで吸い込まれた事から分かるように、
「離れた場所にドアが出現し、そのドアとの信号のやり取りで物体を転送している訳ではない」と推測できます
宇宙に空気が吸い込まれるのは空気の密度が違うから。もし仮にA(地球)からB(宇宙)へ信号で転送していて二つの空間が直接繋がっていないとすると、
空気の密度に変化はほとんどないという事になり、「空気が吸い込まれる」という現象は起きないのではないかと思います。

となると、空間が直接つながっている以上、わざわざ物質に手を加える必要性があるのか?というのが根拠①です。

※追記
最近「ねじ巻都市冒険記」をもう一度見たところ、宇宙空間にも関わらずドア全開で大丈夫でした。おそらく映画の都合上「固体酸素」を何度も撒くシーンが邪魔だったからだと思うのですが、一応公式映画でハッキリ描かれている以上この説も問題アリとなります。

根拠②:なぜ途中で気付かないのか?

 分解にしろ消滅にしろ、体が欠損すると何らかの苦痛を伴うのが普通です。
また苦痛がないにしろ、手や足などを先に入れた場合、自分の脳に繋がった手足ではない以上、そこから先の感覚は無くなるはずで、違和感は覚えるはず。
さすがに気付くのではないでしょうか?

 もっとも、苦痛無く分解・消滅させる技術が開発されており、またドアが転送先の手足と転送元の脳を電気信号で繋いでいるとすると、これは問題になりません。

根拠③:倫理的問題

 分解・消滅いずれにせよ、コピーの製造という意味ではクローンと似通った部分があり、生命倫理上の大きな問題をはらんでいます。一方どこでもドアは単なる移動を目的としています。常識的に考えて、圧倒的に便利とはいえ移動手段のためにその問題に立ち入りたいと思うでしょうか?

 と思ったのですが、改めて考えると「人間製造機」とかいうクローンどころではない道具がある事を思い出しました。どうも21世紀は生命倫理に関して大分緩くなっているようです。

 以上です。②と③に関しては自分で考える内に反論が思いついてしまい、①だけが辛うじて残る形となりました
※追記その2
①も否定され、これで全部の説がボツと相成りました。
新年一発目がこんなんでいいんでしょうか。まあいいでしょう。