2019年3月13日水曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第九回・マーケット・ガーデン作戦)

 今回は「マーケット・ガーデン作戦」という作戦の解説です。「遥かなる橋」で映画化された作戦ですね。有名な映画なので聞いたことのある人も多いかと思われます。

 まずは状況から。
オーバーロード作戦とドラグーン作戦以降、連合軍は快進撃を続けフランスのほぼ全域を解放。1944年9月の時点で、戦線は北部がベルギー・オランダ間、中部がフランス・ドイツ間、そして南部がフランス・イタリア間に到達していました。

 しかし、連合軍を悩ませていたのが補給の問題です。
各地の港はまだドイツ軍が立てこもったり、あるいは破壊したりしていた為、連合軍は計画通りに補給港を得ることができませんでした。それで未だにオーバーロード作戦の際に用いた人工港や占領したシェルブール港に頼りきり。しかも上陸作戦の時に爆撃で鉄道を破壊してますから、前線にはトラックで運搬するといった始末でした。
そんな迂遠な方法では広大な戦線をさらに広げるのは難しく、攻勢は停滞してしまいます。

 そんな中で、北部方面を担当していた英軍のモントゴメリー将軍が強く主張したのが、空挺部隊が一斉に奇襲降下して進路を確保、すかさず陸上部隊が進撃し、ドイツ軍の防衛線を一気に突破するというものでした。
連合軍の基本方針は東部も含めて四方からドイツを圧迫するというものでしたが、これは一考に値するものでした。ベルギーのアントワープは補給港としては申し分ないのですが、川の対岸(オランダ)に陣取るドイツ軍が邪魔だったのです。その為、この地域の解放は連合国全体にとっても急務でした。また、ノルマンディー上陸作戦以降役割の無かった空挺部隊の活用にも繋がります。
が、連合軍司令部はこの計画を却下します。理由は二つ。まず、オランダ周辺は狭く、機動的な作戦に向かないこと。それから、モントゴメリー将軍に迅速な作戦遂行の経験が乏しいことがあったとされます。

 しかし、9月8日、とある事件が発生します。世界初の超音速弾道ミサイル『V2ロケット』によるロンドン攻撃が始まったのです。
何だか強そうに思えますが、実際は爆撃機に比べて不発は多い、威力は低い、射程は短い、命中精度は非常に低い、そのくせ発射コストは高いという代物でした。
しかし、その速度ゆえに当時の技術では迎撃はおろか避難すら困難で、「いつ自分の上に落ちてきてもおかしくない」という恐怖は、ロンドン市民や連合軍の将校に大きな精神的プレッシャーを与えました。
 そんなV2ロケットが発射されているのが当のオランダだったのです。そんな訳で最高司令部はオランダの奪還を決断。「マーケット・ガーデン作戦」が実行される運びとなったのです。
実際はもっと河川だらけ

 さてこの「マーケット・ガーデン」という作戦名、実は空の「マーケット」と陸の「ガーデン」という2つの作戦を合わせた呼称なんです。
まず「マーケット」作戦は3個師団を3地点(アイントフォーヘン・ナイメーヘン・アーネム)に降下させ、周辺の5つの川にかかっている橋を占領するという計画です。占領に失敗して橋を落とされでもしたら、大きな川だと侵攻自体が不可能になってしまいます。何が何でも成功しなければならない作戦でした。
そして同時に開始される「ガーデン作戦」は至って単純で、占領されている(はず)の橋を渡って機甲師団などが進軍、各地点の空挺部隊に合流して救出・回収するというものです。
オレンジが空挺地点。

これだけと言えばこれだけ。ですが、この作戦には様々な問題が潜んでいました。

  • 空挺部隊の負担が大きい
「ノルマンディー上陸作戦」を見れば分かる通り、空挺部隊というのは対空砲火などで簡単に降下地点から離れてしまいます。さらに戦車・重火器などを持たずに降りるため、味方から切り離された状態の、ろくな装備も持たない歩兵部隊と考えればその危うさの程も分かる気がします。
今回の作戦では、途中の橋を占領できなければそれより向こうに降下した部隊は孤立してしまいます。しかもこの作戦では「拠点防衛」という任務を与えられていますから、補給もなしに最大4日間橋を保持しなければなりません。(付け加えるなら、これは作戦が計画通りに進んだ、いわば理想的な状態での話です。)まあ一応重火器や車輌も投下する予定でしたが、果たして空挺部隊が本当に持ちこたえられるのか不安の大きい計画でした。

  • 準備不足
この作戦は急ピッチで進められたせいか、様々な準備が不足していました。何しろ1年以上時間をかけたノルマンディー上陸作戦にひきかえ、こちらは決行がV2ロケットの発射からわずか9日後の17日ですからね。
まずは空挺作戦に無くてはならないグライダー。これは必要な数の半分しか用意できませんでした。また実行後に発覚したことですが、無線機にも準備不足、確認不足があり、部隊間や航空要請など多くの通信が不能になってしまいます。
さらに、上で言ったような、橋の奪取に失敗して空挺部隊が対岸に取り残されるという最悪の事態をカバーする計画も立てられないままでした。

  • 楽観的な想定
もちろん、これらの欠点は歴戦のモントゴメリー将軍なら百も承知だったでしょう。それでも作戦が実行されたのは、ドイツ軍が崩壊寸前という前提によるものでした。実際、ファレーズ包囲戦以降ドイツ軍は連戦連敗でろくな装甲戦力も持っていないと分かっており、この少々無茶な作戦でも実行可能とされたようです。
 が、この前提は全くの誤りでした。この時、偶然にもドイツ軍は戦力を立て直していたのです。
孤立していた兵を救出し、敗残兵を集め、新規に部隊も加えて再編成を行っていたのです。さらに悪いことに、2個の装甲師団(武装親衛隊)がここで休養・修理を行っています。大きく弱体化しているとはいえかなりの戦力を保持していました。
実は、レジスタンスや偵察機の報告があったらしく、作戦幹部はこれに気づいていた可能性があります。
しかし、既に作戦が実行目前に迫っていたため無視されてしまったとか。見ない振りをしても解決にはならないのですが、組織ではよくある事かもしれません。

また防衛ラインとして前線を守っていたのはシュトゥデント将軍でしたが、彼はドイツ軍降下猟兵の創設者であり、ドイツ軍による最後の大規模空挺作戦「メルクール作戦」を指揮した人物でした。空挺作戦に対応するにはこの上ない適任者がいたという訳です。


 というような問題や不運(いずれも回避可能なものでしたが)を抱えながらも、1944年9月17日、作戦は実行に移されました。
最初の降下はおおむね計画通りに進み、ノルマンディーのように広範囲に散らばる事もなく、いくつかの橋は難なく占領できました。ドイツ軍は突然降って湧いた大量の空挺部隊に大きく混乱し、モーデル将軍などは自分を拐いに来たと勘違いした程でした。
しかし、SS師団や防衛ライン、兵力を増強した軍によって3地点全てが妨害を受けてもいました。アーネムでは何とか橋を占領したものの増援を待つために進軍が遅れ、アイントホーフェンでは撃退され、ナイメーヘンに至っては進撃を開始することさえできません。当然アーネムの部隊は孤立した状態になってしまいました。
さらに前述しましたが無線の不調によって部隊間の連絡がつかず、情報を確認しようとしたアーネムの師団長(アーカート将軍)が襲撃に遭い行方不明に。
まだあります。墜落した飛行機から作戦の計画書が流出し、奇襲効果はわずか1日目にして損なわれてしまったのです。

 というように、上述の不安はもれなく実現してしまった訳ですね。その後の経緯を大まかに話しておきましょう。
陸上部隊の方は道を塞がれたり、解放を喜ぶ民衆に邪魔をされたり(この光景はパリ解放等でも見られます。気持ちは分かりますが)し、進軍に後れを見せながらもアイントホーフェンで合流を果たします。しかし既に橋は爆破されており、工兵が架設するまで更なる足止めを食らいました。その間、アーネムで橋を占領していた部隊は師団内で孤立したままドイツ軍の猛攻でじりじりと後退していきます。
ナイメーヘンでは決死の渡河が行われ、橋に陣取るドイツ軍を挟み撃ち。見事占領に成功します。が、機甲師団が単独で進軍する事を拒んでいる間に、アーネムの部隊はついに降伏してしまいました。
その後は連合軍の優勢ではありますが、ドイツ軍はアーネムまでの補給路を執拗に攻撃し始めます。そのためアーネムへの進軍はできず、とうとうこの作戦の撤回が決定されました。
 その後アーネム対岸の空挺師団は渡河し脱出。派遣された増援によりドイツ軍は一掃されました。オランダの中に回廊を確保した連合軍でしたが、もはやその価値はほとんど無くなっていました。

結果としては、一般的には連合軍の作戦失敗とされます。なにしろ膨大な物資を割いたにも関わらず、ドイツに打撃を与える事が出来なかったわけですから。このせいでアントワープ解放も遅れ、全体の侵攻も滞るなどの悪影響が出ました。
しかし、モントゴメリー将軍は「9割方成功」と言い、一方のオランダ王子は「オランダにはもう一度モントゴメリーの言うような『大成功』を実現させる余裕はない」と語ったとか語ってないとか。
余談ですがアーネムの橋は、そこを守っていた部隊長のフロスト中佐に因んで「ジョン・フロスト橋」と改名されているそうです。

 それにしても、まるで作戦通りに行かない可能性を全く考慮していなかったような、非常に強引な印象を受けます。

ご存知の方も多いと思いますが、モントゴメリー将軍といえば北アフリカ戦線を勝利に導いた名将であり、しかもその戦略は(再三にわたる首相の要請を拒否し続け)戦力を蓄えるという堅実なものです。いくらV2ロケットという脅威があったとはいえ、その堅忍不抜なイメージとはそぐわないように感じます。

なぜここまで性急に進めてしまったのか?については、本人以外に知る由はありません。
よく聞くのはモントゴメリー将軍の個人的な名誉欲やパットン将軍への競争心という理由です。
モントゴメリー将軍は自らを連合陸軍総司令にするよう要求し、首相に要請してアイゼンハワー将軍より上の元帥の地位を得るなど、かなり固執していたようです。
またパットン将軍は、かつて「ハスキー作戦」で主役を担っていた英軍を出し抜き独断で進軍し、結果大戦果を挙げたことでモントゴメリー将軍に敵視されていた、と言われています。とは言っても、地位が全く違うんですが。
次にイギリスの都合。戦後処理でより有利な条件を引き出すため、あるいは消耗が激しく長期戦を嫌ったイギリス本国が、早く戦争を終わらせようと軍をせっついたという話もありました。
どういう理由にしても、失敗は思惑通りではなかったでしょうが。


 それでは『将軍の栄光』について。・・・なのですが、ステージ開始時にはベネルクスがドイツ所属になっています。そもそもアントワープ周辺までしかマップがありません。
追記:これは「マーケット・ガーデン作戦」後に起こったアントワープ対岸をめぐる戦闘「スヘルデの戦い」を再現している可能性があります。ちなみに本作戦の失敗が響き、アントワープを完全に確保したのは11月。

空挺部隊を使うような場所もありません。その代わり、なぜか沖にモントゴメリー将軍含めいくつかの陸上部隊がたむろしてます。何してんのそこで。
まあ、ターン制限が厳しいのはリアルかな?と思ったり。クリアするには全速力で進まなければいけない辺りは何だか教訓めいた意図を感じます。あと登場将軍は大体史実通りです。
後は・・・そう、ゲーム内でのエアポーンでは歩兵しか降下できなくて不便、とか思ってましたが、実際兵器なんて持ち運べないからしょうがないんですよね。史実の作戦を見てるとあんなに気軽にポンポンできるもんじゃないみたいですから。目標地点に違わず降下できる時点で相当有能だなあ、と今更ながら思います。
いつもながら書ける事が少なすぎる・・・・思いついたらまた追記します。

それでは。