2016年2月1日月曜日

『将軍の栄光』の作戦元ネタ解説(第一回・ポーランド侵攻)

 どうも。
 『将軍の栄光』のアドバイスをさせて頂いている僕ですが、これからちょくちょくステージの元ネタの大まかな説明をしてみようかと思います。まあ無意味といえば無意味ですが、その方が背景なども分かってより楽しめるのではないかと思います。

 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。なお実在しない作戦や、調べても分からないステージは飛ばします。
またWWⅡについてはド素人なので、誤りがある時は訂正して頂けると幸いです。



 今回は第一回としまして、西部戦線の初期ステージ、『電撃戦』・『ワルシャワへの進
軍』の舞台となる「ポーランド侵攻」について説明します。

 1939年、ドイツはポーランドに攻撃を開始します。その作戦は北方(作中登場将軍:ボック・キュヒラー・グデーリアン)、西方(登場将軍:ルントシュテット・プレイヤー)・南方の3方向から首都ワルシャワに向けて侵攻するというものでした。

ポーランド軍は善戦したものの、圧倒的な兵力と機甲部隊を有するドイツ軍はその防衛線を突破、周辺地域を制圧しながら本格的な攻撃からわずか8日というものすごいスピードでワルシャワに到達しました。

ポーランド軍は後退し、自国の東南部で防衛しつつ同盟国の英仏の援軍を待つという計画を立てます。(※)しかし、ドイツと秘密条約を結んでいたソ連が東部から攻め込み、ポーランド軍はドイツとソ連の挟み撃ちに遭いました。

降伏を拒んだものの、防衛は不可能と判断したポーランド政府はルーマニアへの全軍脱出を指示します。義勇軍や守備部隊の抵抗は続きましたが、結局ワルシャワは1ヵ月足らずで陥落。ポーランド全土も1ヵ月程度で制圧されました。

この後、脱出したポーランド軍は連合軍として戦い、またポーランド本土でもレジスタンス活動が積極的に行われる事になります。

ちなみに、ポーランドは惨敗というイメージが強いと思いますが、実はナチスドイツは兵力差・戦力差の割に多くの被害を出しています。それに加え本土のレジスタンス活動も盛んに行われた為、かなり厳しい占領統治がなされたそうです。

このポーランド侵攻を受け英仏はドイツに宣戦布告を行いますが、ほとんど派兵していません。理由は色々あるようですが、両国とも積極的な戦争を望んでいなかったようです。
この両国はポーランド陥落後もしばらく対独宥和政策を続け、ドイツが北欧に侵攻する数カ月間は戦争中にも関わらず『陸上』戦闘がほとんど行われない状態でした。(ただし海上戦闘は頻繁に起こっています。→ヴェーザー演習作戦。)


以上がポーランド侵攻のあらましです。
ステージではワルシャワに到着するまでが『電撃戦』、到着する直前からが『ワルシャワへの進軍』だろうと思います。その進軍速度を思えば、両ステージの異常に短い制限時間(それぞれ6ターン、10ターン)もうなずけますね。
//と思ったら、1か月という交戦期間は対独戦争にしては長いようですね。まああくまで目標ですから…

ちなみに「電撃戦」として知られているこのポーランド侵攻ですが、一部では殲滅戦だと言われているそうです。「電撃戦」の詳細についてはまた説明しようかと思います。

 ポーランドを制圧したドイツはデンマーク、ノルウェーへと進軍しますが、それはまた次回にしようと思います。
連合国側のステージはフランス侵攻からになるので、まだしばらくは枢軸国側のステージの話が主になりますのでよろしくお願いします。
それではまた。