2018年11月28日水曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第八回・ドラグーン作戦)

今日も元気に月イチ更新。
というわけで、ドラグーン作戦の解説です。(西部戦線・連合側『ドラグーン作戦』)
いかにも勇壮なカッコいい名前ですが、実際は大した戦いも無い作戦なんですね。知名度が低いのも頷けます。
 ※基本的にはWikipediaの内容が大部分です。ただコピペではあまりに芸が無いので出来る限り平易かつ自分の言葉で解説させて頂こうかと思います。


 さて、まずはいつものように背景解説から。
この作戦は南フランスへの上陸を目標とするもので、前回のノルマンディー上陸作戦に始まった「オーバーロード作戦」を支援する目的で計画されていたものでした。
この作戦に割く余裕が無いという理由やチャーチルの反対から一旦は延期されたものの、ノルマンディー上陸作戦でシェルブールなど港の確保に手間取ったことを受け再検討された、とあります。

とは言え、実際に実行されたのは8月、ファレーズ包囲戦の直前で、既にドイツ軍の劣勢が明らかになった後でした。

戦力をかき集めた北フランスでさえそんな状況でしたから、南フランスにいるドイツ軍は言うまでもありません。
さらに内陸部ではフランス人レジスタンスが活動し、ノルマンディー同様に通信網や道路を破壊しています。
そんな訳で、ドイツ軍は大した抵抗もできず、また後述するように早々に撤退が決定したため、一方的な追撃戦に終始しました。


 実際の動きを大まかに追っていきましょう。

1944年8月15日、アメリカ軍・自由フランス軍をメインとする連合軍はトゥーロン、ニース間の地域に上陸します。
イタリア戦線からも兵が引き抜かれたとか。
前回お話しましたが、ドイツ軍は8月16日に退却命令を出していました。
南部でもその方針は同じで、南仏のドイツ軍はトゥーロンといった一部を残し、北部フランスを経由してドイツ本国へと撤退しようとしていました。
退路を断とうとする連合軍と、時には足止めの部隊を残して北進するドイツ軍。
その戦闘は幾度にも渡ったものの、初めに書いたように大した戦いも少なく、ドイツ軍は損害を受けつつも撤退を完了。
連合軍はディジョンと呼ばれる都市でパットン将軍の第3軍と合流し、9月11日、フランス南北の連合軍が連絡を果たすことになりました。

このマップ、前回のノルマンディー(後編)にも載せておきました。

ドイツ軍が駐屯していたトゥーロンとマルセイユも8月28日に解放され、南フランスから枢軸勢力を一掃することに成功し、この作戦は達成されました。


それはさておき,この作戦に反対していたチャーチルは、南フランスよりもバルカン半島を攻めるべきだと主張していました。石油を押さえるという軍事的な目的もあったようですが、ソ連の介入を防ぐという思惑もあったと言われます。
一方でルーズベルトはソ連に好意的だったとよく言われており、この辺りに政治的な駆け引きがあったりしたんでしょうか。
結局バルカン半島が軒並みソ連圏に入ったことを考えると、意外と影響の大きい作戦だったのかもしれません。


  さて『将軍の栄光』ではどうだったかというと、まず参加勢力は米仏、空軍として英連邦なのでこれは概ね史実通りです。上陸地点もトゥーロン、ニース間なのでこちらもドンピシャ。
フランス軍が内陸にいるのはやや解せませんが、マップのすぐ西はスペイン、東はイタリアに挟まれているため、海岸線が短すぎて地中海に配置できなかったのではないでしょうか。まあレジスタンスの代わりと考えれば悪くないかもしれません。

それよりも気になるのがスペイン軍です。
史実のスペインはフランコによる独裁政治が敷かれており、色々な面でナチスに協力する反面、いくら要請されても参戦は拒み続けた国でした。
しかし、このシナリオ内ではガンガン攻めてきます。フランコ自ら装甲歩兵を率いて。
何でまた…と思わないでもないですが、軍団モードでもスペインは枢軸に設定されてますし、この辺でスペイン軍も出しておきたかったのでしょうか。

あとは、目標町もマルセイユ、トゥーロン、ニースと、割と史実通りです。北端はディジョンではない・・・どころかフランスですらないミラノとジュネーヴですが、まあ致し方ないでしょう。ディジョンまで入れるとマップが2倍くらい縦に伸びてしまいますからね。

こんなところでしょうか。
記事も短いですがWikipediaの項目も大変短く、英語版のWikipediaも参考にしなければなりませんでした(よっていつもよりさらに信憑性が・・・)。知名度の低い作戦は大変です。
それでは。