2019年12月22日日曜日

『将軍の栄光』作戦元ネタ解説(第十回・ベルリンの戦い)

 お久しぶりです。前回の更新から何か月経ったか、自分でも怖いくらいです。
 実は最近、Cドライブの調子がおかしくてですね。アプリケーションやらピクチャファイルが消滅したり、保存していたドキュメントが文字化けしたりと結構怪しい感じです。
 ウイルスバスターをかいくぐっているのか単なるクラッシュか、という感じですが、ともかくその為にブログ用のメモやら図やらがあちこち壊れまして。
やる気が思いっきりへし折られた&罪悪感でブログのページを開けない、という精神状態になってしまいました。

 そんな訳で、更新が閉鎖レベルまで落ち込んだ事を深くお詫びし、短いながらも謝罪の挨拶とさせて頂きます。


 前回は『バルジの戦い』でしたね。もう昔過ぎて覚えてねーよ、という方。ごもっともです。もしお時間があればご覧ください。
 まずは事前に状況をざっと説明しておきます。1945年3月末、英米軍はヨーロッパをほぼ分断するライン川以西をほぼ完全に制圧していました。しかし対するドイツ軍は、「近づかれたら橋を爆破する」という作戦を徹底し、英米軍の侵入を防ごうとします。
 その為、進撃を続けるにはまたしても上陸作戦のような船による渡河をしなければならない(と思われている)といった具合でした。

 さて、バルジの戦いが失敗に終わっていよいよ窮状極まるドイツ軍でしたが、ここでライン川のダムを爆破するというとっておきの手段に。渡河不可能の大洪水を前に、英米軍は停止を余儀なくされます。
 その隙に、ドイツ軍は東のソ連軍を退けようと最後の反攻作戦に打って出ました。しかし春の泥濘では機甲部隊も役に立たず、あえなく失敗。そうこうするうちにライン川の氾濫も治まり、とうとう英米軍がベルリンへ向けて再び動き出してしまいます。

 まずはモントゴメリー将軍率いる北方担当イギリス軍(と、その指揮下のアメリカ軍一部)。こちらは至って順当に、船を用いた大規模渡河作戦を実行します。この際行われたのが「ヴァーシティー」と「プランダー」という二つの作戦で、大雑把に言うと渡河部隊、援護する空挺部隊の合同作戦です。空挺好きだなこの人。
 マーケット作戦・ガーデン作戦の反省を生かしてか、実に入念な準備を持って実行に移します。爆撃、砲撃を行った後の空挺作戦は抵抗を受けつつも成功し、無事渡河を完了しました。
チャーチル首相、アイゼンハワー将軍、モントゴメリー将軍の三人でランチを食べながらその様を眺めていたというのですから、その余裕ぶりも伺えます。

 一方のブラッドリー将軍率いる南方担当のアメリカ軍ですが、こちらは何と無傷で残されている橋を発見しました。それがルーデンドルフ鉄道橋、別名レマーゲン鉄橋です。
 アメリカ軍の接近を受けてここでも爆破が試みられましたが、物資不足が祟り橋を落とす事が出来ませんでした。しかもそれに出くわしたのがパットン将軍配下の第三軍。例によって果断即決ぶりを見せ、橋を守るドイツ軍を退けて橋を確保します。
 こうして、奇跡とも呼べるラッキーによって、難無く橋頭保を作り上げる事に成功しました。この後、ドイツ軍は執拗に橋を攻撃し、やがて十数名の米兵と共に沈没します。しかしその頃には浮橋も完成し、意味はほとんどありませんでした。


 それら英米軍の渡河によりドイツ軍の戦線は崩壊、取り残された部隊はあちこちで包囲、降伏してしまいました。その中にはドイツの一大工業地帯、心臓部とも称されるルール地方も含まれています。エルベ川西岸まで快進撃は止まらず、1945年4月、とうとうベルリンを目前にします。しかし、実は連合軍の総司令部では一つの取り決めがありました。それは「ベルリンはソ連が落とす」というものです。
なぜかと言えば、やはり戦功としてソ連の占めるところが大きかったからというのが一つの理由です。
何せ、ソ連軍は一度の戦いで100万以上の兵を動員している事も少なくないのですから(因みに、ノルマンディー上陸~パリ解放、ファレーズ・ポケットまでの参加兵力はおよそ200万人だそうです)、多くの犠牲を出した国が一番の栄誉を得るべしというのも理解できます。
もちろん、軍事的な見地からも十分に考えられた末の結論だろうとは思いますが、イギリスは案の定猛反対しました。

 ともあれ、アメリカ軍はベルリンより南、ドイツ南部からオーストリア、ハンガリー方面へと兵力を向けます。
 そして、ソ連軍とアメリカ軍はエルベ川南方、ドイツ東端で邂逅。西部戦線と東部戦線が初めて結びついた瞬間、これがかの有名な「エルベの誓い」です。イギリス軍は北方で進軍を続け、リューベックやハンブルグに到達しますが、こちらでもソ連軍と合流して進軍を停止。この直後、ナチスドイツは降伏しました。

 さて、その決定打となったベルリン侵攻作戦は1945年4月中旬より、前述の通りソ連軍によって開始されました。ヒトラー総統は市民を避難させる事も無く、全てを道連れにしようとしていたとか。内部のゴタゴタ等で当初は大きな損害を被っていたソ連軍でしたが、それでもオーデルおよびナイセ川を渡り、4月25日にはベルリンを完全に包囲。
 その後は完全な掃討戦です。親衛隊や少年兵が建物の屋上や地下に潜み、機銃や狙撃銃、対戦車砲でソ連軍を迎え撃ちます。多くの市民を巻き添えにしながら激しい戦闘が巻き起こりますがソ連軍の歩みは止まらず、郊外から市内中心部、そしてとうとう国会議事堂へと雪崩れ込みました。
 唯一の希望はヴェンク将軍、ブッセ将軍らによる外からの包囲突破でしたが、それも失敗。
傀儡国家サロ共和国を指揮させていたムッソリーニ大統領の死亡、そして寵臣ヒムラーの裏切り、および救援が完全に頓挫したと聞いた後の4月30日、ヒトラー総統は愛人と共に自殺します。

 5月8日、大統領を後任したデーニッツ将軍が西側連合国と、国防軍代表カイテル将軍がソ連との降伏文書に調印し、かくしてナチスドイツは崩壊したという訳です。



 では、『将軍の栄光』ではどうだったでしょうか。と言っても覚え書きやあいまいな記憶をメインにしていますので、かなり大雑把になったり間違ってたりしてそうです・・・ご勘弁ください。
 まず、自分が操作するのはアメリカ軍ですね。マップ左端にシュツットガルト、ケルン、上にはオスナブリュックがありますが、ケルンを除けば全てライン川東岸にある都市(のはず)です。ルール工業地帯はデュッセルドルフなどだそうですが、マップ上には恐らく存在しません。
 史実通り、アメリカ軍が担当するのはベルリン以南、イギリス軍がベルリン以北を担当しています。何故かフランスも北にいますがまあそれは良いでしょう。
 またベルリンについても史実通りソ連軍が『我が軍に任せてもらおう』みたいな事を言いますが、結局自軍で落とす事になりますね。こちらはゲーム的に致し方ないかと。あ、プラハは確かソ連が占領していたと思いますが、これもまた史実通りです。

 さておき、自軍のルートとしては(僕は)主にフランクフルト→ベルリン→ハンブルグやロストック、という順番で進んでいたと思います。縮尺が小さすぎるのは否めませんが、東西戦線の合流点としては意外にもけっこう一致していたのかな?と思います。
ベルリン市街戦はIFストーリーとして考えればアリなんじゃないでしょうか。

参加将軍は・・・確かゲーリング将軍やマンシュタイン将軍がいましたね。どちらもベルリンでの戦いではその場にいなかったはずですが、オールスター感のあるメンツだったと記憶しています。こうなるとロンメル将軍がいないのが逆に違和感。・・・いませんでしたよね?

 それでは。